「江之島鎌倉観光案内」
横濱電気 江之島電気鉄道部発行


手に入れちゃったんですよ、コレ!

横浜電気に買収されてから、東京電燈に買収される10年間のもので、
1911~21年の間に作られたものであると考えられます。
つまり、約100年前の江ノ電資料!

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表紙は白波と江ノ島をシンプルかつ大胆に描いたもの。
使っている色は、
の3色です。

ハンコのような印刷をしているのではないかと思いますが、すごくよく出来ていますね。

文字は暗い黄土色をしていますが、
もともと黄色だったのかもしれません。
紙ものなので仕方ないのですが、
ちなみに、古い文庫本とかで本の隅が赤く変色する本がありますが、
古書店の人曰く、あれはどうしても変色してしまうんだとかで、
状態が悪くてもいいから一度見せて欲しいんだそうな。
そういう本でも、もう古い版の本とかだとお宝になったりもするらしいよ。
(まぁ素人が高く売れると思って溜めたものってトコトン売れないんですけどねーー)

表紙を開くと沿線案内があります。
上に書かれている電車は、タンコロが登場する前の2軸単車です。
集電装置は開業から明治末期までの10年程度はビューゲルを使用していましたが、
この頃はすでにトロリーポールに交換されていたようですね。

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なんというか、何一つとして新鮮さを感じないというか、
この2020年の時代に読む観光ガイドとほとんど変わりがないです。
この言い方をすると語弊があるのかもしれませんが、
少なくとも2000年くらいまでの江ノ電沿線ガイドって大したこと書いてなくて、路線図と切符の案内を軽くしてたような、まさにこんな感じのものだったんですよ。


裏表紙には、江ノ電の路線図があります。

そのタイトルは「江之島電鐵沿線略図」
前社名は江之島電気鐡道なので、その流れでそのままの表記になっているのか

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まず、停留所の違いがあります。

藤沢
川袋 石上~柳小路の間
鵠沼
西方 現・湘南海岸公園(1958年改称)
片瀬 現・江ノ島(1929年改称)
腰越 腰越駅の先、海沿いに飛び出す場所
七里ヶ浜 現・峰が原信号所あたり
大境 現・七里ヶ浜の車両搬入スペースあたり
稲村ヶ崎
極楽寺
長谷
原ノ台 由比ガ浜~和田塚の間
鎌倉 若宮大路・二の鳥居の前

江ノ電グループ会社要覧を見てみると、
1910年の全線開業時、すべてで39の停留所があったとされ、
ほかに書籍などでは、臨時で停留所の追加や移設が発生していたとのことで、
印刷物として用意するにあたり、主要停車場のみを記載したものと思います。

当時の江ノ電は、運賃に区間制を採用し、
この13駅間12区のどこを通るかで運賃を決めていたようです。

また、1車両の貸切料金として、
42名分の運賃を支払うことで運行できることが分かります。
1905年の土木統計年報には、40~50人乗りの電動車と、30~40人乗りの不随車があり、
定員だけ払えば貸切運行が可能であったことが分かります。

特別車貸切などの料金設定もあり、こちらは普通運賃60名分。
二等車と三等車を持っていたことが分かります。


また、江之島鎌倉廻遊乗車券とよばれる切符も紹介されています。
東京・新橋・品川・新宿・渋谷・横濱・桜木町の7駅から
江ノ電の主要駅で途中下車が自由になる切符で、
通用3日間有効という、フリーパスの走りみたいなアイテムです。

また、時刻表も注目です。
藤沢~鎌倉の通し運転は、朝6時~22時まで、20分間隔の運転、
藤沢~江ノ島の区間運転は、朝7時~20時、22時~24時まで、20分間隔の運転、
鎌倉~長谷の区間運転は、朝7時~20時まで、20分間隔の運転

つまり、藤沢~江ノ島、長谷~鎌倉は10分間隔で運転していたようです。
江ノ島駅には当時から留置線があったそうですが、
当時どのような配線であったのかは現在調査をしています。

長谷駅は、今の鎌倉行ホームが島式ホームになっていて、0番線とか3番線とか呼ばれるホームが存在しました。
現在ホームはありませんが、その痕跡が長谷駅鎌倉側の土地に残っています。


他にも気になるものはいろいろありますが、
今回は鉄道メインで、辿ってみることにしました。

この手の資料がだいぶ溜まってきたので、いろいろUPしていきたいと思います。

それでは、また。