猿島に行ってきました。
 
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逗子駅で4両ローカルのE217系に乗り換えます。

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横須賀線ー総武線という表記もE235に継がれたのが驚きですが
こういう幕もチラホラ撮りに行かないとですね。


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横須賀駅に到着です。
天気がいい…。


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むらさめが接岸していました。
海外派遣の帰りだそうで、
まだハイビジの艦番号ですが、
どうやら護衛艦もロービジ化が進んでいるっぽいですね。
この艦もゆくゆくは…といったところなのでしょうか。


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向かいの岸壁にはAPL40が。
APLは宿泊艦といい、
主に空母のメンテナンス要員などを宿泊させるための移動兵舎なんだそうです。

なんと1945年1月建造、まだ日本と戦争していた時代の船が横須賀には残っているのですから驚きです。


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奥には煉瓦らしき倉庫が見えますね。
ここからバスで横須賀中央駅に移動…

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特務艦はしだて!!!
海外の来賓を乗せるための迎賓艦です。
艦番号は海上自衛隊で唯一2桁の91という番号を持っています。
特務艦として他に有名なのは、南極でお馴染み宗谷の戦時中の呼び名でしょうか。

横須賀中央につきました。

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駅前にアーケードが並びます。
いいアンドンですねぇ


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レトロな時計店や、店蔵っぽいレンタカーなど、面白いものがちらほら

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ここから三笠公園に向かいます。
あまりモタついてると、船の便が…!


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みんな大好きさいか屋パーキング

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マンボウと音楽教室の飾り柵が気になってパチリ。



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三笠公園入口の公衆電話ボックスは灯台の形をしています。
上は吹き抜けではなく明かりもなくただの飾りのようです。



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トライアングルの三笠桟橋にきました。
猿島航路用の立派なターミナルです。

トライアングルという会社は猿島航路やヨコスカ軍港めぐりを運航する船会社です。

今回、緊急事態宣言を受けて、軍港めぐりは運行休止中でした。


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シーフレンド1という船がぷかぷかと浮かんでいます。

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隣には記念館三笠が。
敗戦国日本に唯一残された戦艦…
大正時代のものですが、それでもこの町を作る軍港の伝統のようなものがここには刻まれているようです。

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これから向かう猿島も軍事要塞として長らく使われたは島です。

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猿島ガイドツアーを申し込んだので、
船には優先乗船ができます。
シーフレンド1の先頭の椅子に座ることができました。

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だんだん島が近づいてきます。


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遠くには追浜の造船所が見えますね。


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このあたりはかなり浅い岩場のようです。



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船は島から張り出した桟橋に接岸します。

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リゾート気分満点でしょ?

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スネ夫の自慢写真にありそうなやつ。

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前からパチリと。
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双胴船ですね。


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猿島の入口の看板には猿のしっぽが描かれています。
日蓮が大きな猿に招かれて嵐をしのいだ言い伝えがあるとか。


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船が本土に帰って行きます。
またねーーー


ガイドツアーが始まります。
ジョークをガンガン飛ばしていくおじいちゃんでした。


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この石畳は日本軍が作ったもの…ウソです。でも道路を作ったのは日本軍なんだそうです。
このあともガイドジョークをかっ飛ばして行きます。



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総煉瓦造りの発電所の建物があります。
軍事施設だけに煙突は低く目立たないような高さになっています。
※貧乏だったから…というはウソです


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道を進むと切通しにたどり着きます。
この切通しは島の外から見えない塹壕のような作りをしています。
この直上に砲台があったため、弾薬庫につながる入口へのルートを安全にする必要があったのでしょう。


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煉瓦造りの地下兵舎跡があります。
中は漆喰が塗られて湿気対策も万全なんだとか。

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このレンガはフランス積みで組まれています。


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反対側にあるのは、トイレの跡なんだとか。
こちらはイギリス積みで作られています。

軍の方針で、1894年にはイギリス積みが規定に入るようですね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejhsce/71/1/71_1/_pdf


10年後の日英同盟が関係しているのか、わかりませんが、幕末の軍政改革はフランス流だったということで、この辺で少しずつ人が変わるうちに意識が変わっていくのでしょうか。

ちなみに、切通しを構成する石は、対岸の鋸山から持ってきた石だそうです。

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落書きが彫られてしまったものもありますが、苔むして静かに佇んでいます。


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中にはこのように破壊されてしまった弾薬庫もありました。
ラピュタのようでインスタ映えするということで、人気なんだとか。



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こちらも古いトイレの跡だそうです。
先程のものとは作られた時期が違うんだそうで。
よく見ると窪みがありますね。
おそらく木材を嵌めて屋根を作っていたのでしょう。

※終戦で使われなくなってから何十年もトイレ我慢してたんだから昔の人は大変ですねぇ…というのはウソだそうです。

一行は隧道の中に入ります。

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ガイドツアーのいいところは見所をたくさん聞けるところ、
欠点があるとすれば人が集まるので写真が撮りにくいところ…。

ぜひガイドツアーで得た知識を活かして一人でも歩いてみたいですね。

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トンネルが中で折れてまして、一本道じゃないので、トンネルの向こう側が見えない仕組みになってます。

ラブラブスポットだとか。まぁ無縁な話ですけど。

次に、唯一入れる弾薬庫跡のトンネルを通ります。
開国以来、陸軍が作った砲台が、航空技術の発達により届かなくなり、海軍による高角砲の設置が行われました。
このために不要になった弾薬庫がトンネルに改造されたのです。

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右が弾薬庫入口。
左の小さな扉は上にある砲台へ弾薬を運ぶための通路の入り口です。
エレベータホールのようになってるんだとか。


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弾薬庫の脇には窓ガラスのはまった通路があります。
湿気厳禁、火気厳禁、そんな場所に直接入らずにここから中の様子を確認したんだとか。
安全思想というのはこの頃からあるんですね…。


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裏から見た弾薬庫です。

ここでガイドツアーは終了。

先に進むもよし、戻るもよし。
ということで、奥へ歩いてみることに。
とはいえ、二年前のあの台風でやられてほとんど通行止めなんですが…。



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切通しにはレンガ遺構がたくさんありましたが、こんどは島の上の散策路になると砲台跡がたくさんあります。
ネジの根元でちょん切られていました。

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江ノ島のように鋭い岩場が並びます。


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奥には護衛艦らしき姿が。
なんだろう。



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プリンス海運の自動車運搬船の姿があります。
夏島方面に向かうのでしょうか。



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他にもいろいろな貨物船が浮いています。
さすがは海の混雑地帯です。


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向こうに見えるのは、三浦海岸の防衛大学校の給水塔だそうです。


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巡視艇も走って行きます。

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一生見てられるけど、だめなんだよな…。


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名残惜しくも移動します。
基礎が侵食で消えた階段w



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ここからは山道を登って行きます。


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トンネルや弾薬庫にもいろんな形状があります。
少しざっ改良されていったのでしょう。



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島の中央には展望台があります。



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今は閉鎖されてしまいましたが、
かつては大ショッカー基地などロケ地になっていたんだとか。


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ちょっと船の形をしているのが面白いですね。
三笠とか見てから行くとそう見えるところもあるかも。


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さっきのプリンス海運が夏島に接岸するところです。
よく見たら、赤いゴライアスクレーンの下に、シーパラのアクアミュージアムの三角形の建物が見えますね。
ブルーフォールとか見える位置では?と思いましたが…あれ運行停止してたし、取り壊されちゃったんですかね?


次回に続きます。