※今回はほとんどロマンスカー出てきません
4月25日
わたしは茅ヶ崎にいました。
神奈中タクシーの旧塗装車です。
ホノルルと茅ヶ崎の姉妹都市提携5周年記念マンホールなんてものがありました。
烏帽子岩を模した飾りがホームにあります。
これがロマンスカー「さがみ」ですかぁ…(違)
相模線、あまり乗ったことがない路線なので興味津々でした。
相模川を渡るところで新幹線に遭遇したり
寒川に新幹線新駅計画、こうしてみると近くにあるんですね。
しかし小田原と新横浜の間に駅を作ってしまうと東海道線よりも遅くなってしまいそうです。
さすがにそれはないだろうという感じが・・・。
まずは相模線をどうにかしろ感がありますが、
宅地化が進んだ今、複線用地を確保するのは難しいかもしれませんね。
とはいえ、高速道路の土木構造物などが線路すれすれではなく
少しスペースを開けているところにちょっと期待をしてみたりしちゃったりしなかったり。
やっぱ景気いいときにやっとく門だったんでしょうねぇ
今時205系も見かけなくなりましたね・・・。
先日ユーカリが丘に行った帰りに武蔵野線に乗りましたが、
あれだけ走っていた205系が全くいなくなっていたことに驚いたものでした。
実はこの205系、4両編成なのですが、
各車ドアが両側に4つずつありまして、それぞれに貼られた
ドアステッカーがとてもかわいいのです。
電車は海老名に到着。
対抗の茅ヶ崎行を見送ります。
隣を走るのは相鉄の厚木貨物線です。
かつては米海軍厚木基地への石油輸送を行っていましたが、
現在では甲種の受け渡しや保留車の留置に使われるような線路です。
入口にはロマンスカーの木製オブジェが。
並ぶのがつらい子供を遊ばせているので、
オモチャを押し当てたりしてさっさと傷だらけになりそうです。
記録はお早めに。
まずは入場券を購入します。
NSEのデザインが出力されてきました!
2階のエントランスはフラスタだらけ!!!
ランの花です。
えびーにゃさん曰く、海老名の胡蝶蘭だそうです。
ここにもえびーにゃさん
黒板には小田急の路線図が描かれていますが、なかなかここで立ち止まれないのでじっくり観察とはいかず…。
ホントいろんなところからきています・・・。
コロナ対策として、入場を完全予約制、時間指定制にしています。
ただし、退場時間には制限がありません。
また対策として、まくらぎディスタンス を提唱しています。
2mの指標になるものが足元に並んでいますよ。
まくらぎのほかには
特急券24枚とか
SE車0.7台分の横幅とか
SEって言ったら0.7人月の方が先に浮かんじゃいますけどねw
エスカレーターで一階に降りると現れるのは大きなパンタグラフ
再入場不可な現在では1回しかチャンスがありません。
古い電車が押し込められています。
ここにも胡蝶蘭が並びます。すごい数…。
この電車は、小田急が開業時に導入したモハ1形の10号車です。
1927年製で、1959年まで小田急で活躍、
その後熊本電鉄に行った後、1981年に小田急が買い戻して当時の姿に復元しました。
あれから40年経ち、博物館で常設展示されることとなったわけです。
まぁとはいえ、小田急グループの電車に目を向けてみると、
1919年製のアイツとか
1931年製のアイツとか
すごく感覚がバグってきますよね。
それぞれ作られた背景が全く異なる電車というのがポイントで、
本当はそれぞれ足回りに特徴を持っているのですが・・・
残念ながらモハ10は足回りを観察することが出来ないようになっています。
ということで、可能な限り機器について考証していくこととしましょう。
ちなみに、同世代の1924年製の電車として、
東武鉄道のモハ5号が東武博物館に保存されています。
基本的な機器はどうやら小田急と近いようなのですが、こちらは車体が木製なので、
小田急の方が近代的な車両を導入していたといえます。
現在では使われていない自動連結器です。
連結面に隙間が生じるため、現代の電車ではあまり使われておらず、
1950年代に密着自動連結器が開発されると取り替えられて行きました。
ナックルの両側についたツメが密着自動連結器の特徴です。
また電車の連結では、空気配管も一緒に接続できる密着連結器が使われることも多いです。
この形の方が、電車同士の衝撃を和らげるという点でメリットが大きいのです。
一方、機関車の負荷を軽減するのに隙間が役に立つので、現代では貨車を中心に使用されています。
この頃の小田急は貨物輸送も行っていたので、全てこの連結器に統一されていたのでしょうね。
2002年、海老名検車区の片隅に保管されていた電気機関車です。
現在は解体されてしまいました。
反対側はあまり暗くてよく見えません。
車内は奥のドアが開けられていて、
立ち入ることはできませんがのぞき込むことが出来ます。
半鋼製車と呼ばれる、鉄製の外板に木造の内装を合わせた作りです。
ニス仕上げのつややかな木工い技術が光ります。
運転台はマスコンとブレーキ、そしてブレーキ弁がついています。
速度計がついているようには見えませんね・・・。
後年に輸送力増強のために運転台スペースを左端に寄せた時期があるようで、
この辺りもがっつり復元の手が入っているようです。
連結運転でも使える、間接非自動進段式の制御装置を設置しているので、
江ノ電タンコロのような直接制御車に比べてマスコンが小さいのが特徴です。
またこの電車は電動発電機を持たず、
架線電圧を直接取り込んで抵抗による電圧降下でいろいろな電源を供給していたようで、
制御装置についても架線電源を引き込んで制御電源としていたようですが、
戦後の改造で電動発電機からの低圧電源に交換されたとか。
椅子が自転車のサドルのような形状をしています。
警笛ペダルのようなものはないのでしょうか・・・? ないってことはないと思うんですが。
上にあるスイッチはなんでしょう。
電車を動かす最低限の装置としたら、遮断器でしょうか。
(パンタグラフの電気を取り込むスイッチ)
反対側の運転台はもう少し物が詰まっています。
椅子を畳んでいるのでよく見えませんが、分かりやすいのは、
右側にある大きなハンドルでしょうか。
これは手ブレーキと言って、ブレーキシリンダーをチェーンで固定するための道具です。
なぜこんな道具が必要なのかというと、通常ブレーキは空気圧で押し当てているのですが、
一晩放置しておくと空気が抜けてブレーキ力が弱まってしまいます。
なので空気が抜けてもチェーンの力でシリンダーが動かないように留めておく必要があるのです。
ちなみにブレーキを動かすコンプレッサーは、米国ウエスチングハウス製のものを利用しているようです。
タンコロ108号とほぼ同じ、
当時最先端だった輸入品を取り付けているそうなのですが、
未来永劫見ることはできなさそうです。残念・・・。
サボには、新宿⇔稲田登戸の文字があります。
1927年の開業時、モハ1型のほかにモハニ101形という電車が居て、
こちらは新宿~小田原の通し運転に使われる長距離用でした。
…って言う説明がきちんとされていないので、
あたかも登戸まで部分開業したかのように誤解を招くと思います。
みんな「昔は登戸までだったんだ~」って通り過ぎていくんですよね。違います。
モハ1が置かれているのはヒストリーシアターという場所。
ヒストリーシアターではタップダンスに載せて
ロマンスカーの歴史を振り返っていきます。
カッコいい映像ですが、ちびっ子は飽きちゃうかな?
インフルエンサーが好きそうという感想。
お次はちびっこも鉄オタも大興奮の車両展示ゾーンですが、
こちらは車両がいっぱいあるので、ココだけでまとめて紹介したいと思います。
言葉で説明する必要がない空間ってのも珍しいですね。
けっこう写真撮りやすい位置に地図があるので、
ちょっと立ち止まりにくいけど・・・まぁ頑張って。
ロマンスカーの照会は、次回じっくりやるので待っていてほしい。
コメント