※記事の年代や名称にちょこちょこミスがあるので直しています。

さあさあお待ちかね!!
ロマンスカーギャラリーですよ!!!

IMG_54450111

文句なしのカッコよさ!!



IMG_54970113

ちなみに人がいない並びを撮るのに1時間くらい消費したので、
平日の朝とか、人の少なさそうな日に行くことを強くお勧めします。


3000形 SE車
1957年6月登場。1967年形態消滅

IMG_52860083


小田急と鉄道総研とのコラボで生まれた高速電車です。

時代は戦後、GHQにより航空機開発を禁じられた日本は、
航空技術を自動車や鉄道に活用するようになりました。

SE車を開発者である三木直忠氏も、海軍で航空機を開発していた人物です。

戦局の悪化によって、特攻機「桜花」の開発を命じられ、
国家のためと、55人の兵士の命を奪うこととなってしまいました。

その三木氏が戦後、平和のためと進んだのが鉄道開発の道。
鉄道総合技術研究所に招かれ、軽量化による高速鉄道を開発。
それが、戦後の小田急の目に付いたことで、このSE車の開発に繋がります。

SE車はライバルの国鉄に貸し出されて高速試験を行いました。
東海道線の沼津~三島間での走行試験で、
狭軌鉄道の世界記録である、時速145キロを達成し、
その後の新幹線開発に貴重なデータを提供しました。


IMG_53330087

航空機を意識した流線形、
軽量化と低重心化のための連接構造など、
画期的な技術を盛り込んだ名車と言われています。

・・・が、博物館では通路が設置されているために、
その特徴的な構造を観察することが出来ません。

可能な限り観察できる部分について、紹介していくとしましょう。


IMG_55040114

このライトはシールドビームといって、
当時自動車で使われていたものを初めて鉄道に使いました。
ランプ一つが大きな電球として光の指向性を制御するようになり、
遠くまで視認性を向上したものです。

また、流線形を再現するための曲面ガラスについて、当時最先端の加工技術が使用されているようです。
(0系新幹線も結局は平面ガラスで作られましたね)


IMG_53470090

こちらが先頭台車です。
チェーンがありますが、おそらく手ブレーキ用のものでしょうか。
日本の鉄道ではディスクブレーキがついているようですが、
そこは撮影し損ねてしまいました。

鋸山登山の翌日に3編成の並びを撮るためにひたすら待って、相当疲れていたんでしょうね。
平日に再訪しようと思います。

IMG_53520091
これは電動発電機。
今のようなインバータは使っていないのです。


IMG_53530092
こっちはコンプレッサーです。
モハ10でも使っているような、原始的なものを使っています。

新幹線の元祖ってこんなシンプル技術でも走れてしまったのかと、
正直ちょっと驚きます。


IMG_53780103

パンタグラフの取り付け台座の高さから、
車高が低いというのをなんとなく感じ取っていただけるでしょうか。
これも連接部に張り出した位置にあって、
台車の真上で架線によく接するよう配慮されているようです。

IMG_53560094

窓も小さく、
モノコックボディの車体は波打たせることで強度を確保しています。

IMG_53580096

飛行機のハッチのような内開きのドアです。


IMG_53600097

車内もデッキだけは入ることが出来ます。
連接部分の床が高くなっているのがお分かりいただけるでしょうか?

電車の床下高さを決める要素となる台車を連結部分に追いやってしまうことで、
客室全体の床を下げているのです。これで低重心化を実現し、
高速でも安定して走行できるようにしているのです。


IMG_53610098

連接部分のアップをどうぞ。
この扉は何を点検するための蓋なんでしょうね。
主電動機なのか、ブレーキなのか・・・。



IMG_53650099

ドアの構造が普通に家のトイレとかと同じように見えてしまうのですが・・・。

窓も開閉可能となっていますが、戸袋のようなものを作らないのは外板の軽量化のためでしょうか。
しかし、実際の運行時にはどうやってドアを開け閉めしていたのでしょうか。

当時の映像なんて転がってないでしょうし、ちょっと調べないといけませんね。
1967年に後述のSSE車に改造されて姿を消したSE車ですが、
廃車後に原型復元されました。

P2004100277

海老名検車区の車庫に保管されていた頃。2004年撮影。

ところで、この「乙女」ってなんなのか。
気になりますよね?
実は、SE車が走り始めたころは、列車愛称の付け方が今とは異なっていたんです。
その資料をご覧にいれましょう。1960年代のロマンスカー時刻表です。

romance_1960timetable

箱根特急は、今のように「はこねXX号」ではなく、
便名ごとに列車名がつけられていました。
1958年の交通公社時刻表を参照すると、乙女号は、
新宿15:00発→箱根湯本16:25着、
箱根湯本16:57発→新宿18:21着
の1往復につけられていた列車名であるようです。

1961年には所要時間が5分短縮されていることも分かりました。

いっぽうこちらは江ノ島線特急。
romance_1960enoshima
定期のなぎさ号・かたせ号が1往復、
不定期の下りかもめ号、土曜の下りなぎさ号、休日上りしおじ号が片道だけの運行になっています。
このようなネーミングは列車の運行日を明確にする点で優れていたのかもしれませんね。



3100形 NSE車
1963年3月登場 1999年引退

IMG_52640074

ロマンスカーSE車はたちまち人気となりましたが、
4編成ではとても輸送力が足りず、予約が取れない状況になりました。

そこで、増備されたのがこのNSE(=New Super Express)です。
ホームが延伸されたため、8両から11両編成に延長。
そして最大の特徴と言える前面展望席もつきました。
少し前に登場した名鉄パノラマカーに比べると、曲面ガラスを採用したのが特徴です。

また1963年11月には、前述の列車名が整理されました。

IMG_00040007

このころから列車名の整理がおこなわれ、
新宿箱根速達の「はこね」
原町田に停車する箱根特急「あしがら」
新宿・向ヶ丘遊園・新松田・小田原をつなぐ特急「さがみ」
そして江ノ島へ向かう「えのしま」が誕生します。

伊豆大島行の船に江ノ島から乗るという旅の提案までされているのが面白いですね。
この頃は箱根や伊豆の開発を西武グループと闘いあっていた頃で、
東京湾を船で移動する時間をロマンスカーでショートカットする狙いがあったようです。

この頃の小田急こそ、Mobility as a Service = MaaSを実現できていたのではないか?
という気がしてなりません。やはり昭和日本企業の体力は恐ろしいものですね。



IMG_52700077

床下をライトアップしているのはポイント高いんですけど、
見えない・・・

IMG_53440089

先頭車はなんと電動台車なんだとか!ちゃんと記録できなかったけど・・・。


IMG_52780081

スカートの下には警報器がついています。
ミュージックホーンもついていました。



IMG_52810082
そしてATS車上子がついています。

IMG_53720100
もともとNSEは低重心化のために機器を床下搭載していて、
SEでは設置を見送った冷房装置も床下搭載されたのですが、
後年の改造で冷房を増強しました。


IMG_53730101



IMG_53770102

窓はSE車よりも大型です。
IMG_53870104
車内に入ってみます。


IMG_53910105

先頭車の展望席の手前、ブルーリボン賞のマークがあります。


IMG_53950106

連接部は大型の幌で囲まれています。
ターンテーブルから渡り板に。
点検蓋が減っているのはなぜでしょうか?

余り重心についての考察が出来なかったのですが、


IMG_54070107

運転台をちらっと見ます。
新宿歴史博物館や、開成駅などで見ることが出来ます。


IMG_54080108

側面のアミアミは何のための部品なのでしょう。
かつては通気口だったりしたのでしょうか。


IMG_54120109

運転台ははしごがつけられ、上れるようになっていますが、
立ち入れないようになっています。

IMG_55630126
反対側は、晩年のさよならヘッドマークが取り付けられています。

1997年の廃車後、NSE車は11両から7両編成に短縮され、喜多見検車区で保存されてきました。

IMG_0041

2002年ファミリー鉄道展にて。


P2004100214
2004年 ファミリー鉄道展にて

海老名検車区のファミリー鉄道展では1000形や9000形などにけん引されて深夜に移動して展示されていました。

当時は車体に施されたさよなら装飾もそのままでした。

P2004100262




P2004100260




P2004100259

現在はそのうち3両が収蔵されています。




3000形 SSE

1967年改造、1992年引退

IMG_55170115

NSEの増備が進んだことで、箱根特急はNSEだけで回せるようになりました。

その頃、小田急が直通していた御殿場線が電化されることとなりました。
当時はキハ5000形という2エンジン搭載気動車を小田急が用意して、
当時D52が活躍していた御殿場線に画期的な列車を走らせていたのです。

ところが電化されることとなり、キハ5000に代わる車両が必要となりました。
そこで、SE車を改造して御殿場直通列車を登場させます。

IMG_55520123

それがこのSSE車(Short Super Express)です。
特徴はまずこの顔の大きな変化。

IMG_55620125

8両編成のSE車は5両編成に短縮され、
さらに分割併合が可能なように連結器を取り付ける改造が行われました。

この連結器を使って、5+5の10両編成を組んではこね運用に就くこともあったようです。

IMG_55210116

電気連結器、そしてATS車上子がついています。

他には冷房装置の屋根上への設置などが挙げられます。

引退後は海老名検車区の専用車庫で保管されていました。

P2004100278
当時の姿(2004年撮影)
薄暗くて撮影がしにくかった記憶が残ります。

P2004100273

海老名検車区にて撮影した運転台です。
この頃は自由に車内も見学できました。


7000形 LSE車
1980年登場、2018年引退


IMG_53170085

所定の箱根特急はNSEだけで回せるようになりましたが、
故障や検査でNSE不足すると、SE車を代走させるという事態が発生しました。
輸送力不足やSE車の老朽化が進んだことから、
SE車の完全な置き換えを目指し増備されたのが7000形です。

IMG_52650075

NSEをベースとしながらも、15年のブランクの間に生まれた先進技術を導入し、
さらに前面形状を航空機由来の丸型からシャープなデザインに変更。
豪華な特急として、LSE(Luxury Super Express)という愛称がつけられました。

今回、先頭車1両が保存展示されることとなりましたが、
LSEは壁に囲まれてよく見ることが出来ません。
また車内見学も出来ないです。

IMG_52690076
近づいて足回りを写したもの。
引退した時から台車など一部を塗りなおしているようですね。

LSEは現役時代を見ているんで、所蔵写真を使って色々見ていきましょう。

1996年からリニューアル工事が行われて、
後継のHiSE車に合わせた塗装変更や内装の改造が行われました。

619bbe65.jpg
その時のカラーリングがこちら。

a3245d6d.jpg
ロマンスカーに伝統として伝わるユリの花のロゴマークも残っていました。

LSEやHiSEは、あまりEXEの多い江ノ島線には来ない電車でして。
日中だと、平日午前中に上りだけ展望車の走るロマンスカーがあって、これだけかなと。


P1140369

その後塗装の復元が行われ、晩年はオリジナルのオレンジ色で活躍しました。


あとは夕方のホームウェイと、その折り返しのえのしま号にやってきたりとか。
IMG_52690076

スマホ持ってなかったのでこういう運用とか分からなかったんですよね。
しかも江ノ島線にはこういう足回りの見えない駅が多くて、
床下資料はほとんどないという。

P1020274

あとは、元旦のニューイヤーエクスプレスとかで活躍したり。
これはLSEで走ると聞いて乗りに言った記憶があります。



P1320995

ほかには団臨で入線することもよくありました。



イメージ 1
LSEの乗車位置目標です。
HiSEが引退してからはこのようなオレンジの単独目標が使われていましたが、
これがNSEから続いていた伝統の一つでした。

さて、今回は、私が最後にLSEに乗ったときのドキュメントを後悔したいと思います。

晩年はVSEやGSEに交じって、
箱根特急と江ノ島方面のホームウェイで活躍していたのが印象深いです。

ということで、2018年6月15日、新宿駅から、どうぞ。


P1450916

ロマンスカーは、1か月前、当日、15分前とそれぞれ座席の発売タイミングがあり、
これらの締め切りまでに支払い手続きを済まさないと、自動キャンセルされる仕組みになっていました。
なので、当日に仮押さえシートが強勢解放されて、それを押さえ、
それも15分前に強制開放されて、ホームの券売機でキャンセル待ち販売というのに変わります。

それに余裕があるということなのですが、
実はこの日、お名残り乗車のために、相模大野~大和とか、大和~藤沢とかで切符を買う人が多くて、
新宿~藤沢を通しで乗るチケットが取れない一方、区間乗車には余裕があったんですよね。


P1450928

はこねの折り返しでホームウェイになるLSEがやってきました。
江ノ島線に入るチャンスはもう残り少ないって頃だったと思います。

ロマンスカークラブで予約しまくって、ホームウェイ81の車種を探すというのを
大学でやって、LSEのシートを押さえてそれに合わせて帰るというねw
ヒマな学生でした。

P1450931
新宿駅で発車を待つ7000形の最終編成です。

車内の案内図です。
P1450950
小田急最後の11連連接車でしたので、
いちばん長い案内図ですね。

P1450949
先頭車しか保存されていない今では貴重な連接幌の部分です。


P1450975
当時のロマンスカーは「走る喫茶室」と呼ばれる車内販売を行っていたので、
コーヒーサーバーや給水設備の整ったカフェカウンターが設置されていました。
後年の改造で冷蔵庫の追加も行われています。


P1450955
机は側面から引っ張る方式です。

P1450974
折戸なので特徴的な注意喚起がありました。
これは長野電鉄でまだ見れるのかな?

P1450944
水回りはこのようにデッキと客室の間にあります。

P1450984
洗面台です。
トイレを撮影していなかったのが悔やまれます。絶対保存されないのに・・・。

P1450990

こちらが展望室です。真上に運転席があります。


P1450993
先頭車にはブルーリボン賞のエンブレムがあります。


P1460002
これが乗務員室への扉です!

P1460005

LSEでは先頭車のドアを乗降用に使用していました。
VSE以降の車は1号車の扉を使用していませんが、
恐らく車掌室から死角になる位置だからでしょうね。 

P1020674
ちなみに、展望車のドア直後にある座席は、2012年にATS機器設置のために撤去されています。

LSEは2018年に完全引退。小田急最後の抵抗制御車でした。
チョッパ制御の8000形も姿を消し、小田急全車VVVF制御を達成するのです。


IMG_55550124


次回は、10000形「HiSE」以降のハイデッカーロマンスカー3両を、
実車資料とともにじっくり紹介していきます!