東京電燈や横浜電気について紹介したと思うので、
今回は、現在の江ノ電にあたる江ノ島電気鉄道(2代目)の乗車券についてみていきたいと思います。

往復乗車券
1区10銭の時代のものです。
戦後に値上げをした頃のものでしょうか。


これは、社史「江ノ電の100年」のなかで、
江ノ電が最初に発行したとしている記念乗車券です。
江の島弁天橋は今の歩道橋ですが、
かつては神奈川県が管理する有料道路で、1往復するのに渡橋券を必要としていました。
2番目に発行されたのが、開業70周年記念乗車券と言われています。

この乗車券、切符としては1種類とカウントされていますが、
その販売形態には複数のバージョンがあり、
往復乗車券として発売されたものもあるようです。

こっちが藤沢~江ノ島の往復乗車券として発売されたバージョンです。
この全貌、私もよくわかっていません。
社史でも1枚しか紹介されていないので1枚だと思っていたのですが…当時の切符の発売事情はなかなか複雑なようです。

江の島と鎌倉
1934年より前のカラー路線図です。
藤澤〜江ノ島間はバス路線がなく、
ここには藤沢自動車という京王電鉄系列の会社がバスを運行してい他らしいのですが、
藤沢自動車に関する文献を読んだことがなく、私もよくわからない会社なんですよね。

裏はこんな感じで運賃がかいてあります。
この頃は1区5銭でした。

こちらは藤沢行きのバス路線を買い取ったあとの路線図です。
龍ノ口と言う停留所がありますが、
かつてはあの併用軌道に2つの停留所があったようです。
片瀬ー龍ノ口ー土橋ー谷戸となっていたようで、観光地図を見る限り、龍口寺の前と神戸橋の手前にあったようです。
まぁ今のバス通りになっている、江ノ電もなかの扇屋さんに繋がる道は当時なく、江ノ島駅から海に出るには洲鼻通りしか無かったようなので、
そこで電車を止めるというのも悪くはなかったのでしょう。


これは長谷の乗車券。
昭和8年の戦前の3区券ですね。
鋏が入っていますが、これは現行の長谷駅とは異なるものです。

普通の乗車券で私が持っているのはこれくらい……。
乗車券収集は別のカテゴリにも足をのせる領域なので、
ヤフオクとかで出てきてもなかなか高額になってしまい集められずにいます。
今後も、江ノ電史料を勝手に里帰りさせるプロジェクトとして、
収集・公開を続けていけたらと思います。
さて、今回もう一つ紹介したいのが、
企画乗車券。
江ノ島、鎌倉回遊券という乗車券が販売されていました。

都合がよいことに、この切符には長谷駅などの改札鋏が押されていて、
当時の利用実態が少しだけわかります。

発駅から、大船~藤沢~鎌倉~大船をぐるっと一周まわるルートが乗れる切符で、
江ノ電の途中下車は主要駅で行うことが出来たもののようです。
昭和10年の鉄道省発行の資料を見ると、
横浜~藤沢、横浜~鎌倉はともに36銭、
藤沢~鎌倉が30銭ですので、
回遊券でも普通運賃でも、電車賃は1円2銭ということになり、
割引のようなメリットは特になかったみたいです。
それでもなぜこのような切符を発売していたのでしょうか。
当時の旅行事情が分からないと何とも言えないのですが・・・気になります。
この切符については、各沿線案内の裏面に紹介がされているので見てみましょう。

1934年以降の営業案内

1928~1934年頃の営業案内

1911年~1921年頃の営業案内
JRが発売していた鎌倉・江ノ島フリーきっぷと似た売り方の切符が
かなり古くから発売されていたことが分かります。
発駅は、
横濱電気時代で、東京・新橋・品川・新宿・渋谷・横浜・桜木町の7駅
江之島電気鉄道になると、これに万世橋駅を追加した8駅となり、
その後、東京駅を除いた7駅になったりしています。
東京駅が外れたのには何か理由があるのでしょうか。
単に売れなかったのでしょうか。
鉄道省の資料などが残っていれば、何かわかるかもしれないですね。
もう一つ発売されていたのが、
この「納涼海水浴電車割引往復乗車券」

降車券とありますから降りるときにもぎって車掌さんに渡す仕組みだったのでしょう。
こちらの切符も、発売区間にいくつかの種類があることが確認されています。
由比ヶ浜・長谷の海岸は海水浴スポットとして栄えていたようで、
片瀬東浜まで、水着のままで乗れる電車として納涼電車が企画されたそうです。
なお、納涼電車というものは横浜市電で運行し始めたものがわずかに先なのですが、
江ノ電でも1932年に開業30周年記念行事として運行開始、
その後、1936年にはボギー車を増強して運行していました。
車内にはサービスガールが乗務して車内販売が行われたとの逸話もあります。
きっぷの裏面はこのようになっています。

森永ミルクキャラメル・森永ミルクチョコレートの宣伝です。
「森永キャムプストアー」は、当時森永製菓が各地の海水浴場に設置していた海の家です。
大学の広告研究サークルなどが自主運営する「学生キャムプストアー」という店舗も存在したんだとか。
今や江ノ電は、カールおじさんも追放され、きのこたけのこ一色ですが、
古写真ではほかにグリコの広告をつけた納涼電車などを見ることが出来ます。
今よりも甘いものが貴重な時代、
製菓メーカーの広告ってどういうビジネスモデルだったのか気になりますね。
森永はキャンデーストアーというレストランを銀座や横浜に開設して、
不二家も戦前からレストランをやっていましたから、
食文化の普及活動の一環だったのでしょうか。
弊サイトではこれからも江ノ電史料の収集・研究を進めていきたいと思います。
また何かあればアップデートしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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