江ノ電バス F5系統 藤沢駅南口~上岡~高根 「高根線」
半年ほど前にブログで取り上げましたが、
このルーツが戦前に遡るということで、歴史的経緯がとても気になっていたんです。こんな面白い路線、いつから走っていたのか調べてみようと思ったのですが、いくつかの壁がありました。
色々と勉強や発見を繰り返して半年、高根線の歴史についてだいぶ理解してきたので、調べたことをまとめておきたいと思います。
実はこの路線、江ノ島電鉄から江ノ電バスに移管された最初(1997年)の路線でした。
このため、2002年発行の社史「江ノ電の100年」には、江ノ島電鉄名義の高根線の路線免許が記載されていないのです。
そこで、私はその前に制作された「江ノ電八十年表」「江ノ電60年記」をもとに高根線のルーツを探ることとしました。
まずは「江ノ電八十年表」から。
江ノ電八十年表には、江ノ電バスに分離される前の高根線の免許についての記載がありました。
ここで驚いたことが、
高根線が藤沢駅南口〜高根の運行系統であるのに対し、
路線は藤沢駅〜上岡・上岡〜高根の2区間に分裂していることでした。
認可日はどちらも1949年5月20日、神奈川中央乗合自動車から戦時買収路線を買い戻した時点となっています。
ここで「江ノ電の100年」を見返すと、1949年時点で神奈川中央乗合自動車から買い戻した一覧と路線図が収録されていたので見直します。
驚くべきことに、当時の江ノ電バスは、藤沢駅から高根線のルート(高瀬通り)を通り、上岡バス停から小田急線の本鵠沼駅前の踏切を超えて、藤原、大平台を経由して辻堂駅に向かう路線を運行していたのです。
このため、上岡から辻堂に向かう路線と、上岡から高音に向かう路線の免許が分かれていたものと推測しています。
今となっては信じられない狭小道路なだけに、あらためて現在の道路を歩いてみたいと感じました……。
現在の上岡バス停です。
画像奥が藤沢駅方面、手前が高根方面です。
正面の交差点を左折すると本鵠沼駅に着きます。
現在は本鵠沼駅よりも南にあり、
もしかするとかつての停留所と配置が違うのかもしれません。
上岡から本鵠沼駅へ向かう細い道を進みます。
かつてバス通りだったとは信じられませんが、
自動車交通が今ほど盛んでない時代、これでも主要な道路だったのでしょう。
本鵠沼駅の踏切を通り、
バスはここを左折してしばらく線路と並走したあと、辻堂方面に向かっていたようです。
つづいて、「江ノ電60年記」を見てみます。
こちらには免許の記載はありませんでしたが、
1962年の段階での路線図が記されています。
この時点で高根線は辻堂線と分離されていましたが、
なんと踏切を超えた先、本鵠沼駅から辻堂駅向かうバス路線が存在するのです。
本鵠沼駅前に広い駅前広場があるのは、かつて路線バスが辻堂からやってきて転回していた名残りなのでしょうか。
60年前の本鵠沼駅の写真、どこかにないものですかね。
さて、辻堂線に話題がそれてしまいましたが、
話題を高根線に戻しましょう。
ここまでで、現在の高根線のルートの元は辻堂行きのバス路線であることがわかりました。
では、上岡から高根方面への路線はどのように形成されていったのでしょうか。
戦後の江ノ電バスの路線を知る手掛かりとなる、
神奈川中央乗合自動車と江ノ島電気鉄道との自動車路線譲受に関する資料が、
国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧可能となっていましたので見てみましょう。
そこで路線図を確認すると、上岡から小田急線の西側へ抜け、鵠沼海岸駅前を通って江ノ電鵠沼駅脇から線路を超え、柳小路に向かう休止線が存在することがわかりました。
「譲渡人神奈川中央乗合自動車株式会社譲受人江ノ島電気鉄道株式会社申請による一般乗合旅客自動車運送事業譲渡認可について」(https://www.digital.archives.go.jp/item/3378481)国立公文書館所蔵 を加工
調べると高根線はかつて「鵠沼海岸線」と呼ばれ、かつては鵠沼海岸まで足を伸ばしていたらしく、
そしてその完全形態が、この石上まで小田急線をぐるりと回る路線なのでしょう。
「鎌倉~逗子~江ノ島」(昭和10年鉄道省発行)にも、略図として似たような道路が掲載されています。
表紙
1931年とか1932年開業などといわれる鉄道省海の家。
ドキュメントが不足しているので詳しい時期がわかりません。
藤沢駅から南下し、鵠沼海岸で小田急の踏切を渡って鵠沼海岸に抜けるルートで、道路の配置もそれに合わせてあるように見えます。
このバスは夏季限定運行で4キロを10分で結ぶと書かれていました。
海の家行のバスを調べてみると、
鵠沼を語る会のWEBサイトにたどり着きました。
この鉄道省海の家へ向かう季節臨の自動車があり、そのルートが高根線と似ているということが記されています。
これらの路線について地域史料から調べるのは難しいかもしれませんが、
だいたい公共交通の運行には免許状が交付されているので、公文書が残っていれば調べることが出来るはずです。
早速国会図書館の資料を検索したら、ヒットしました。
昭和9(1934)年鉄道省発行の、”全国乗合自動車総覧”から、鵠沼地区における江ノ電バスの前身、藤沢自動車に関する記載を探してきます。
確かに藤沢自動車が
昭和6(1931)年6月30日付で、藤沢駅~鵠沼松が岡2丁目?、藤沢駅~龍口寺前への路線バス運行を開始、
昭和7(1932)年7月9日付で、石上?~鵠沼駅への運行を開始(おそらく藤沢~松が岡~石上の延伸)
昭和8(1933)年7月8日付で、鵠沼海岸1丁目?から鉄道省海の家行のバスを運行しているとあります。
この路線についての地番が変更され現在のものとは異なるので、過去の地図からどの位置にあるのかを調べなくてはなりませんが…大体の位置は神奈中の時代と一致しているように見えますね。
路線免許を取得してもなお、1935年時点では夏季限定のバス路線だった海の家行ですが、
歴史をたどると、藤沢自動車の既存路線免許に追加された区間であることが分かります。
また藤沢自動車は1931年10月に江ノ島自動車を買収しているそうなので、
もしかすると江ノ島自動車から承継した免許かもしれません。ここは残念ながら資料がありませんでした。交通公社の時刻表に乗合自動車の路線一覧が掲載されていれば、判明するかもしれないのですが。
そして、江ノ島電気鉄道発行の路線図に、
この海の家行のバス路線が記載されているものが一つありましたので紹介します。
このタイプの路線図はいくつもバリエーションがあり、私は9種確認し7種所蔵しているのですが、海の家にバス路線らしきものが描かれているのは私が知る限りこの一種だけで貴重なものです。この紙切れに3万円かけてしまったのは内緒。
藤沢駅から南下し、鵠沼海岸で小田急の踏切を渡って鵠沼海岸に抜けるルートで、道路の配置もそれに合わせてあるように見えます。
このバスは夏季限定運行で4キロを10分で結ぶと書かれていました。
海の家行のバスを調べてみると、
鵠沼を語る会のWEBサイトにたどり着きました。
この鉄道省海の家へ向かう季節臨の自動車があり、そのルートが高根線と似ているということが記されています。
これらの路線について地域史料から調べるのは難しいかもしれませんが、
だいたい公共交通の運行には免許状が交付されているので、公文書が残っていれば調べることが出来るはずです。
早速国会図書館の資料を検索したら、ヒットしました。
昭和9(1934)年鉄道省発行の、”全国乗合自動車総覧”から、鵠沼地区における江ノ電バスの前身、藤沢自動車に関する記載を探してきます。
確かに藤沢自動車が
昭和6(1931)年6月30日付で、藤沢駅~鵠沼松が岡2丁目?、藤沢駅~龍口寺前への路線バス運行を開始、
昭和7(1932)年7月9日付で、石上?~鵠沼駅への運行を開始(おそらく藤沢~松が岡~石上の延伸)
昭和8(1933)年7月8日付で、鵠沼海岸1丁目?から鉄道省海の家行のバスを運行しているとあります。
この路線についての地番が変更され現在のものとは異なるので、過去の地図からどの位置にあるのかを調べなくてはなりませんが…大体の位置は神奈中の時代と一致しているように見えますね。
路線免許を取得してもなお、1935年時点では夏季限定のバス路線だった海の家行ですが、
歴史をたどると、藤沢自動車の既存路線免許に追加された区間であることが分かります。
また藤沢自動車は1931年10月に江ノ島自動車を買収しているそうなので、
もしかすると江ノ島自動車から承継した免許かもしれません。ここは残念ながら資料がありませんでした。交通公社の時刻表に乗合自動車の路線一覧が掲載されていれば、判明するかもしれないのですが。
そして、江ノ島電気鉄道発行の路線図に、
この海の家行のバス路線が記載されているものが一つありましたので紹介します。
このタイプの路線図はいくつもバリエーションがあり、私は9種確認し7種所蔵しているのですが、海の家にバス路線らしきものが描かれているのは私が知る限りこの一種だけで貴重なものです。この紙切れに3万円かけてしまったのは内緒。
江ノ島電気鉄道発行「江ノ島と鎌倉」
鵠沼エリアを拡大してみましょう。
藤沢駅から江ノ島駅まで、線路を示す太い線の上にもう一本線が見えます。これが江ノ電バスです。
そしてその下、鉄道省海ノ家と書かれた小屋から藤沢駅と鵠沼駅に細い線が通っています。
これが藤沢自動車のバス路線のようなのです。
この路線図には、龍口寺〜大仏の日本自動車道路線バスも記載されていることから多少の便宜を図ったのではないかと考えます。
※一方で、真のライバルである1931年開業の大船〜龍口寺の日本自動車道の路線バスは記載していませんね? 意図があって取捨選択しているものと個人的に考えています。
裏の営業案内を見てみましょう。
当時の江ノ電バスは江ノ島までの運行で、これは1934年に藤沢駅まで延伸することから、この路線図は1933年に作成されたものと分かります。
もう一度「江ノ電の100年」の年表を読み直してみます。
昭和9.8.27
藤沢自動車より乗合バス「藤沢〜鵠沼〜片瀬」、ハイヤー「片瀬・鵠沼」営業権譲受の契約締結
昭和9.9.1
藤沢線「藤沢駅東口〜江ノ島」「藤沢駅東口〜鵠沼海岸〜石上」運輸開始
高根という単語は一言も出てこなかったので最初読んだときは気づきませんでしたが、
きっちり読んだら、確かにありました!
神奈中から買い戻した路線の図と一致しそうな区間ではあります。
そして藤澤自動車から購入した、藤沢から江ノ島へ向かう路線は2路線あったということですね。鉄道の路線図には1路線しか載らないので、てっきり1つだと思っていたのでモヤモヤしておりました。
片方はF3の藤沢〜江ノ島線、片方はF5高根線といったところでしょうか。
(2021/01/17追記)
「江ノ電八十年表」を見ると、運行再開時の路線として「藤沢駅ー高根ー鵠沼海岸線」という記載がありました。
戦後この路線は短縮された一方で引地川河口まで路線を伸ばし、その後再び高根まで短縮されたようです。
ということで、高根線の開業時期は、
藤沢自動車としての運行開始は1933年7月
江ノ電バスとしての運行開始は1934年9月、
戦後のバス事業再開からすると1949年5月、
ということになるようです。
来年で90周年ですか・・・
鵠沼エリアで自動車が走れる道路として整備された道を、
今やミニバスと呼ばれるような小さなバスが走っていく、歴史って面白いですね。
平成時代に現れたコミュニティバスとは一味違う路線、
小田急江ノ島線の記録ついでに、その歴史を感じながら、乗ってみてはいかがでしょうか。
昔の乗り物について語るコミュニティとかに身を置いてみると、「当時生まれていない」というのがかなり不利なんですよね…。
高根に6Eや8Eが来ていた頃の写真や経験はあいにく持ち合わせていないので、昭和後期や平成初期の話は経験者にまとめてもらえたらとても嬉しいです。
コメント
コメント一覧
その上で、疑問な点もあり更なる調査をご期待致します。
① 戦後の時期、高根が終点になったのはいつからなのか。
②戦後の時期、高根の先の鵠沼海岸まで
バスが走っていたとすると商店街を走る事が推測されますが、商店街の古い店舗
の古老の方のお話では、戦後は商店街をバスが走った記憶が無いとおっしゃてました。
鵠沼海岸まで走った時期が短く古老の方の記憶に無いのか、或いは戦後の最初から高根止まりなのか不明です。
淳ちゃん様
コメントありがとうございます。
路線に対する考え方ですが、「路線」というのは営業許可を得ている区間のことを指していて、必ずしも運行実績があるとは限りません。
したがって、鵠沼海岸から鵠沼までの営業許可は取り戻したものの、実態としては戦時中に路線を没収されたのを最後に戦後は一度も運行しなかった可能性もあるとみています。
裏付けのためには、路線廃止のタイミングが分かる資料と、運行実態を示す1950年代の路線図が必要になるかなと思っています。鉄道に対しバスの資料は書籍が皆無、資料も限られており調査が困難ではありますが、今後も資料探しを続けていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。