鎌倉や江の島には、なぜ京急バスが走ってくるのか。
きになったことはありませんか?
簡潔に言ってしまえば、
もともと江の島鎌倉エリアを走っていたバス会社を京急が買収したからなのです。
1931年に開業した日本自動車道という会社が、
大船~江の島に日本初の優良自動車道を建設し、
そこに路線バスを走らせました。
当時のパンフレットには、ダブルルーフの大きな路線バスの写真が写っています。
このバスが、かつて大船~江ノ島の専用道路を10分で結んでいました。
(「江の島と鎌倉」 日本自動車道・江ノ島電気鉄道発行 発行年不詳)
地図に自動車専用道路という文字がありますが、この道路が、
大船から深沢を通って龍口寺前に出てくる道路なのです。
その後、戦時下の統合で日本自動車道は京浜急行の一部となりました。
土地の境界を示す杭にはKHK(Keihin Kyuuko Kaisha)の文字があります。
現在は鎌倉市/藤沢市の市道として使用されていますが、
昔は日本自動車道→京浜急行道路という有料自動車道でした。
現在、真上にグループ会社の湘南モノレールが走っている関係で、
バスは1時間に1本、休日は5往復しか走っていません。
それでも細々と走っているバスに歴史を感じてみようと思い、乗ってみることにしました。
モノレールが14分で結ぶ道のりをバスで行くとどのような体験ができるのかも観察していきましょう!
やってきたのは龍口寺の脇。
バス停の名前もそのまま、龍口寺です。
かつては江の島口という名前だったことが路線図からわかります。
江ノ島にバスが直接乗り入れることができるようになったのは、1962年の江ノ島大橋が完成して、自動車が江ノ島に乗り入れられるようになったのがきっかけ。
江ノ電が通り抜けていきます。
江ノ電が飛び出してきている海行きの大きな道は近代になって整備されたもので、かつては江ノ電江ノ島駅脇の洲鼻通りが海に向かうメインルートだったようです。
さぁ、バスがやってきました。
船6系統、大船駅から江の島に直行するバス路線です。
さぁ、23分のバス旅の始まりです。
(本記事では、バスの本数が少なく取材不足のため、過去画像を使って紹介しています。
特筆のないものは2021年撮影です。)
まずは龍口寺のある龍口山の西の斜面をぐるりと回り込んで山をかわして進みます。
道路はご覧の通り、歩行者の通行を考慮していない狭い道となっており、大型車は路線バスを除いて通行禁止になっています。
車内から覗くとこんな感じ。
湘南モノレールは、線路の土地にこの道路を活用したのでほぼこの道路の真上を走行しますが、
一部にショートカットや景観の理由でトンネルを越える場所があります。
この片瀬山トンネルもそのひとつ。
経緯は以下のサイトによると、お寺を見下ろすことがないようにとのことですが、
回り込まずに急勾配を直線で通すスタイルは、モノレールならではの走りと言えるでしょう。
モノレールは高低差を橋脚で高さを稼ぎ山の起伏をある程度克服してスイスイと走っていきますが、バスはその起伏のある地面に足をつけて走る乗り物で、モノレールから眺めるだけの地形を体感できる面白い乗り物だと思います。
この道路は大船から江の島にかけて複数の山を越えていきます。
その起伏を、うねうねした龍の背中ととらえたとき、その突端に来るのが龍口山なのです。
今回は龍口寺から乗ったので、龍の口から腹の中をうねうねと上り下りすることとなります。
モノレールが湘南江の島をでてから片瀬山までひたすら上り坂を走りますが、
バスは龍口山を回り込んで目白山下で一度低くなり、再び片瀬山に向かって登り坂に挑みます。
龍口山をトンネルで超え、目白山下から片瀬山を目指すモノレールを江ノ島シーキャンドルからとらえました。
(2020年撮影)
龍口山を登った先に駅があって、
再び谷があって片瀬山に向かいます。
写真は2020年撮影、奥が大船駅方面です。
この上り坂を山をぶち抜くことで解消するモノレールの土木力には驚きますね。
バスはエンジンをうならせてこの坂を坂を上って、片瀬山に到着します。
片瀬山駅は山の頂点で、今度はモノレールが切通しを作って地面スレスレを走ります。
なるべく高低差を押さえるとこのようになってしまうんですね。
片瀬山を過ぎると急坂を下り、切通しを使って片瀬山から津村へ向かいます。
(2020年撮影)
(日本自動車道時代の西鎌倉住宅地 日刊東京写真新聞 1937年7月24日発行)
この道路は大船から江の島にかけて複数の山を越えていきます。
その起伏を、うねうねした龍の背中ととらえたとき、その突端に来るのが龍口山なのです。
今回は龍口寺から乗ったので、龍の口から腹の中をうねうねと上り下りすることとなります。
モノレールが湘南江の島をでてから片瀬山までひたすら上り坂を走りますが、
バスは龍口山を回り込んで目白山下で一度低くなり、再び片瀬山に向かって登り坂に挑みます。
龍口山をトンネルで超え、目白山下から片瀬山を目指すモノレールを江ノ島シーキャンドルからとらえました。
(2020年撮影)
龍口山を登った先に駅があって、
再び谷があって片瀬山に向かいます。
写真は2020年撮影、奥が大船駅方面です。
この上り坂を山をぶち抜くことで解消するモノレールの土木力には驚きますね。
バスはエンジンをうならせてこの坂を坂を上って、片瀬山に到着します。
片瀬山駅は山の頂点で、今度はモノレールが切通しを作って地面スレスレを走ります。
なるべく高低差を押さえるとこのようになってしまうんですね。
片瀬山を過ぎると急坂を下り、切通しを使って片瀬山から津村へ向かいます。
(2020年撮影)
(日本自動車道時代の西鎌倉住宅地 日刊東京写真新聞 1937年7月24日発行)
バスは津村というバス停に到着します。津村と聞くとピンとこないかもしれませんが、湘南モノレール西鎌倉駅の真下にありますので、実質「西鎌倉駅前」だと思ってください。
ここは片瀬山方面への自動車専用道と、腰越・神戸橋方面への道路の分岐点になっています。
なので、江ノ電バスも集まるバスターミナルとなっているようです。
湘南モノレールと路線バスは利用客が完全に棲み分けられているためか、近くにあっても駅名が一致しないものがあります。ほかには湘南深沢=大船工場ですかね。JR大船工場となくなって15年と久しいのでそろそろ改名が必要な気がします。
(2020年撮影)
西鎌倉駅を出るとふたたび山越えが始まります。
モノレールはある程度高さを稼いで、鎌倉山をトンネルで抜けますが、
バスはこの山を越えるように、東にある鎌倉山ロータリーへ向かいます。
ここ鎌倉山は、日本自動車道株式会社が高級分譲地として開発を計画した土地。
実際は鎌倉山住宅地株式会社に分社化されて、アクセスのよい高級住宅地として投資を募ったものの、株主以外の分譲は2振るわず、倒産してしまったのだそう。
自動車道も戦車のテストコースとされ、高級別荘は進駐軍に接収されて荒廃してしまい、
西武グループの開発などで戦後再び開発されたという様々な歴史があるエリアのようです。
実は鎌倉山住宅地を見るのは初めて。いつもトンネルで通過しちゃいますからね。
鎌倉山を出ると、また下り坂が待っています。
(2016年撮影)
トンネルを走っていたモノレールと合流します。
道路はガードレールこそあれど歩道がなく、
ランナーが走っていく脇を車がすり抜けていく光景にはヒヤヒヤします。
手前が江ノ島、深沢を超えて町屋に向かう線路が奥に見えます。(2016年撮影)
深沢は名前の通り、南北に高い山を持つ川沿いの低地で、
モノレールも道路の急なアップダウンに追随していく険しい地形の場所です。
戦前の自動車でよくここを通り抜けようと思ったものです。
鎌倉山から深沢への道は山の尾根を進むもので、周りよりも盛り上がった場所を進むため開放感があります。私もモノレールに乗る時好きな区間だったりします。
モノレールの線路もこの辺りは70パーミルほどの勾配があります。
ここも高い高架で超えられるのではないかと思ったのですが、
沢というくらいですから高いレールを建設できる地盤ではなかったのでしょうか。
下をくぐる道路は、藤沢駅~大仏切通を東西に結ぶ道で、江ノ電バスが藤沢~鎌倉を通るメインルートとしています。
さらに、ここから京急バスが鎌倉駅に向かうため、深沢から大船駅にかけては多くのバスが走り、
モノレールとの並走を見ることが出来ます。
下を走るバスは鎌倉山始発の大船駅行きです。
モノレールが止まらないのでバスで大船駅に向かうしかありません。
(2013年撮影)
(2016年撮影)
面白いのは、この道路が京浜急行の道路だったので、
江ノ電バスがこの道路を避け、西側の川沿いを走っているところです。
大船工場の西と東で会社が分かれているんですねぇ。
町屋は東に山の斜面が迫るスレスレの場所を走っていて、西側には三菱電機の工場からJRを越えて武田薬品の研究所が並ぶ広い平地となっています。
かろうじて通れる斜面を切り開いて道路を作ったのでしょう。
実は藤沢市役所から駅やモノレールが観察できるのです。
(2017年 藤沢市役所新庁舎内覧会にて通常非公開の屋上より撮影)
バスはこの真下を走っていきます。
バスはさらに富士見町へ向かいます。
この先、JR横須賀線の線路を超えるための跨線橋「大船立体」があります。
(2018年撮影)
道路がぐねぐねっとなっていますね。
手前側が鎌倉市の旧自動車道路、モノレールに沿って線路沿いに向かう道が大船立体、
そして左に向かう新設された道が手広方面に向かう県道腰越大船線です。
1931年に架橋された日本自動車道の小袋谷跨線橋が80年にわたり利用されてきましたが、
手広方面から県道が伸びてきたことで、県の事業で大船立体として架け替えられることとなりました。
(小袋谷跨線橋を目指し専用道を走るバス 日刊東京写真新聞 1937年7月24日発行)
現在は県道がメインで、旧自動車道が丁字路で曲がるようになっていますが、
かつては2車線でギリギリ走れる狭い橋が一直線に伸びていました。
(2013年撮影)
湘南モノレールの撮影地で大変有名なのがこの逆V字の橋脚です。
この橋脚は当初からここに新しい道路が通ることを想定して、
干渉しないように建設されたものだそうです。
当時は土木や歴史に関心がなく、このような画像しか手元に残っておりません。
実は物凄い重大な遺産を撮り逃してしまったのだと後悔しています。
ちなみに、ここが京浜急行の専用道路だった時代の名残で、
江ノ電バスは大船駅寄りの、横須賀線上り線の築堤をくぐり、
さらに下り線の田園踏切を渡るということをやっていました。
このため横須賀線をくぐれるようにバスの車高を下げる必要があり、
高速バスの車両選定なども独自の工夫がされていたのです。
(2010年撮影)
ところが踏切とクランクに囲まれたなかで大型バスが走ると、
周辺の車の動きもあって身動きが取れなくなることもあり、
現在では江ノ電バスも大船立体を経由するようになりました。
現在は1日に午後4往復、早朝の循環2本だけこの田園踏切を通るバスがあります。
最終日近くに知人が撮影に行っていたのはこのためだったんですね。
もうちょっと早く気づけばよかったです。
こうやって見ると、横須賀線を超えるのはバスにとってかなり厳しかったのだとわかりました。
なんだかんだでバスは大船駅にたどり着きました。
モノレールが14分で向かう道を、バスは23分で走ります。
70キロでかっ飛ばせるモノレールの高速性能が時間に効いてくるのでしょうか。
しかし戦前のバスは15分で結んでいたそうですから、
昔は障害物もなく、なかなかかっ飛ばせるドライブウェーだったのでしょうね。
モノレールが走ってきました。
こうやってバスと比較するとモノレールという乗り物の凄さが見えてきますね。
モノレールが運休した時の代行輸送手段としては少し頼りないですが、
自動車専用道を走ることを唯一許された大型自動車。
ペーパードライバーの私にはとても新鮮なドライブでした。
ぜひ一度乗ってみてください。楽しいですよ。
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