今回は画像整理の中で出てきた写真を使って、
私が初めて東京ディズニーランドに行った日の思い出を振り返っていきましょう。
(注・この記事には、2011年3月撮影のショッキングな写真があります。苦手な人はお手数ですがブラウザバックをお願いします)
この日私は、中学校の卒業遠足で来援していました。
遠足バスはディズニーリゾートの西側にある駐車場にやってきました。
(ゲートから見て右側です)
初めて見た、ディズニーリゾートラインの姿に大興奮。
駐車場の真上を駆け抜けていく姿に夢中でシャッターを切りました。
入園ゲートについても撮影撮影。
むしろこっちを撮りたかったくらいでした。
ワールドバザールの無効にシンデレラ城が小さく見えたのを見て、
これがディズニーランドか……と感慨深くなったものです。
遠近法を弄ってあるんだろうなぁとか色々考えてしまうぼく。
前にも触れたかもしれませんが、私ディズニーキャラクターにそこまで興味がなくて。
小学生の時は体調崩して遠足に行けなかったりで。
別にそこまでしていきたいところでもなかったんですよね。
でも遠足で行くっていうからとりあえず乗り物だけ乗るか、みたいな感じで。
皆さんだいたいお察しかと思いますが、中学生時代の私は典型的な「でんしゃまにあ」でしたので、
えー、ワールドバザールまで来たんですけどもぉ、
一緒に回る友達は……ひとりもぉ……(ここで文章が途切れている)
ということで、一目散に向かったのが、ジャングル探検船。
ここで本物のオーディオアニマトロニクスの凄さを知るわけです。
”本物の”ってことはまるで偽物のディズニーランドでもあるような言い方ですがそういうわけではなく……。
船も小型ながらちゃんとエンジンの音がする臨場感あふれる乗り物で面白いなぁと思いました。
そして次に乗る乗り物と言えば一択です。ウエスタンリバー鉄道ですね。
汽車絶対乗るでしょ。
こうやってキャストがみんな手を振ってくる空間というのにカルチャーショックを覚えてしまいました。夢の国っていうのはもっとみんなキャラクターにキャーキャー言うものだと思ってたんですけど、
ゲストは世界観を求めてここに来るのかと。
今まで斜に構えていたパークへの印象が変わったのです。
その後、部活の友達に捕まって、一緒に回ることに。
わーー蒸気船乗りたかったよーーーー
と思いましたが、今思えばいい思い出ですね。
お昼ご飯に行ったのはパンギャラクティックピザポート。
この時、このトニーソラローニのギミックに感動したのを覚えています。
混雑しすぎて全然眺めるどころじゃなかったんだけどさ。
ゴーカートを運転して遊んで、そのあとトゥーンタウンへ。
当時は静態保存車として子供のおもちゃになっていたジョリートロリー、
撤去されちゃったんですってね。
確かにメカがついてるなぁとか、動いたら面白かったろうなあとか、
いろいろ観察するところを白い目で見られていた記憶。
他にも喋るマンホールやらポストやら、面白いものを探して記念写真撮ってました。
人物写真なのでここにはないけど……。
あの辺の遊具は、みんなインスタとかで自撮りする人たちがマナー悪く使ったせいで
撤去されてしまったんだとかで。
やっぱりカメラ使いはジャンルの壁を越えてこう、トラブルメーカーになりやすい……。
そして、パレードがあるので、その前に気軽に乗れる乗り物に乗ろうという話になって、
ぜったいに並んでない乗り物に乗ろうという話になりました。
それが
スター・ツアーズ!
スタースピーダー3000に乗って宇宙を旅するアトラクションです。
スターツアーズ分からないんだけど……と思ったんですが、
なんとも航空マニアの心をくすぐるQラインの作りに感動したものです。
出発便の案内です。私たちが載る45便・エンドア行はここにはありませんが、
エンドア行のフライトは本数が多いようです。そしてけっこう遅延しまくってますね。
目的地の惑星エンドアの高級ホテルの宣伝なども行われています。
そして近未来的な手荷物が移動していきます。
スーツケースにシール貼が張られています。
FEDERATION EXPRESSの文字。FedExのオマージュでしょうか。
そこそこ定刻に到着しているっぽい到着便。
いろんなドロイドたちが運航にかかわっています。
この辺の子たちは今も1体いますね。
知らないけど観光ポスターにしてはすごくよくできてて撮ったやつ。
タトゥーインはスターウォーズのファミコンゲームソフトを
遊んだときに第一ステージに出てきたので覚えてます。
暗くて何も見えませんね。
これはメンテナンスゾーンの写真で、
管制塔みたいなところから宇宙人が見てるところです。
スピーダーを整備するR2とC3POが見えます。
良く動くから面白いなぁと思いました。
人間が入ってるんじゃないの?みたいなw
暗くて写真が少ないですが。
こういうところもなんというかこだわりがあって気に入っていました。
ドロイドを修理する無駄口叩いてばかりのドロイド。
なんか画面越しのキャラクターと会話をしながら動くドロイド。
映像とアニマトロニクスの合わせ技ってのが面白かったですねぇ。
CGのない時代に夢を持たせるってすごく難しくてそれをいろんな技術で見せている、面白かったんですよこれ。4月に行った時は5回くらい乗った気がしますねw
ゲストに雑談を持ちかけてくるドロイド。
こういうのもすごくよくできていて、会話のレパートリーがなかなか尽きない。
面白いなぁと思いましたね。
電光掲示板も昔は貴重だったんでしょうか。
なんとも乗り物に乗っているような感覚があります。
注意事項も飛行機の注意喚起ビデオそんまんまな感じで気に入ってました。
まぁ、キャプテンレックスの操縦は散々だったわけですが……。
降りると就航各地の天気情報や観光ガイドをしてくれる情報看板がありました。
銀河系の構成図
そして出口の手前にはスタースピーダー3000が。
間近で見ると、こういうSFチックでメカメカしくもシャープな乗り物を
デザインして書き込める人って羨ましいなぁと思ったものです。
最後に運行管理をしている宇宙人の部屋があります。
よくみるとパークのポップコーンをテーブルに載せていますね。
甘党らしいなぁ。
14時頃からパレードが始まるので、シンデレラ城前に陣取って待つことにしました。
少し悪天候なのが心配ですね。
ディズニーランドは音響装置が何か所にも設置されていて、
地べたに座ってみると、BGMのせいか地面が少し揺れているような感覚がありました。
パレードが来るまで羽田に着陸する飛行機を撮影して待ちます。
しかし、音響が変わるわけではないのに、
地面は揺れています。
どうやら音響装置のせいではなく、小さな地震らしい。
そう、この時が、2011年3月11日、14時46分のことでした。
揺れは次第に大きくなり、
照明塔や休憩所の屋根が音を立ててガタガタと揺れ始めると、
しだいにパレードを待つ人たちが「わぁ」とか怯える声を発するようになりました。
座っていても電車に乗っているような気分になる大きな揺れです。
園内放送では「ただいま 地震が発生しております」と男性の声が聞こえました。あらかじめ自動音声を仕込んでいるんだなと思いました。
とても長かったのを覚えています。
茨城とかの長い揺れですよね。友達とこれは伊豆だったらもっとガツンとくるだろうみたいな話をしていました。
シンデレラ城の前だったので、学年主任の先生に会い、もう遠足は中止するのでバスに戻るよう言われました。
ワールドバザールにはキャストが両脇一列に並び、ゆっくりと退園するよう促しています。
ディズニーランドの園内は地盤が強固(たぶん地下に色々構造物があるためだと思う)で、落下物もなにもなく、
そこそこ大きな揺れだったというだけの感覚で、遠足バスに戻ってきました。
実際、当時パーク内で撮影された映像をYouTubeかなんかで見ると、「ヤバい」とか「揺れてるー」とか、後の被害からは想像もつかないほど呑気なコメントを見かけると思います。園内はそれほどに安全に作られていて、私たちは外の世界の様子に全く気が付かなかったのです。
そこで見たのは、ボロボロになった駐車場の路面で下。
悪天候でしたが雨は降っていませんでした。
これが液状化現象だと理解するのには少し時間がかかりました。
そこで余震が来ました。
駐車場に並んだバスが起震車のように飛び跳ねていました。
駐車場には大きな照明灯があり、離れるように駐車場のキャストに声を掛けられましたが、
周囲には大きなバスが止まっていますし、近くにはモノレールの線路もあります。
どこに逃げたら安全かわかりませんでした。
とりあえずキャストが居る所なら安全だろうと、直線距離で走って逃げました。
足元のアスファルトにパキッと亀裂が入り、
亀裂の入ったアスファルトが揺れだして、その隙間から水があふれてきました。
洗濯機を回しているときの、「パシャ・・・パシャ・・・」って水のはねる音、あれに近い音がします。
揺れが収まると、しゅわー……という音とともに水がわき出してきました。
その後、ゲート付近の方が安全なのでそちらに移動してくださいと案内されました。
ゲート入口も、度重なる余震の旅に水が噴き出し、池のようになっていました。
そして、実は噴出していた水が、ただの水ではなく泥水であったことが分かります。
軽い泥が吹き上がって、堆積していくのです。
余震の影響で、ワールドバザールのガラス張りの天井の一部に損傷が懸念されたようで、
安全確認が取れるまで、ワールドバザールの通行ができなくなりました。
ここで私たち生徒は、園内の百数十人と駐車場の数十人の2か所に分断されてしまったのです。
通行規制の解除の見通しは立たない、というのがキャストの説明。
その中で、「体調崩したって言えば出してくれる」という噂が伝わる……。
今思えば何の根拠もないんですけどね、園内の友達にメールで教えちゃったんですよね。
SNSの乏しい時代、情報の信ぴょう性を確かめる手段ってほとんど限られてたとはいえ、幼かったな。
羽田への到着機が機首を上げているのが分かりました。
ゴーアラウンドです。
車輪も格納しています。
ディズニーランドがこのダメージです。
羽田空港も無事ではなかったのかと震えました。
ヘリコプターが飛び始めました。
テレビに映るぞ!という友達。あれは警察のヘリです。
海沿いに住んでいる人間としては、
いちばん怖かったのは津波でした。
当時はLINEもなく、連絡手段は電話とEメールしかありませんでした。
都市で起こる大地震で、通信インフラはほとんど麻痺。電話もなかなかつながりません。
伝言ダイヤルも使ってみようとしましたが、使い方をイマイチ覚えてないし、
家族が受信方法を理解しているかもわかりません。
とにかく実家が心配でしたが、
きっと高いところに避難しているだろうと信じるほかにありません。
当時、津波と言っても高潮みたいなものだろうという感覚がありました。
やっぱりそれくらいの甘い認識だったんです。
後日談で「黒い水が引地川を登っていくのを避難先の建物から見た」と聞きました。
当時まだスマートフォンがほとんど世に出ていなかった時代。
カメラ付ケータイも使いこなせていないと使いづらかった時代ですから、その記録は残っていません。
この時、
ギークな友達がTwitterというブログのようなサービスを使って情報を仕入れていました。
Twitterって使ってるんだけど、これはなんか繋がるんだよね、とか言って。
僕がTwitterを始めてここまで使い込んでしまったのは彼の影響だったりします。
震源の情報もすぐには分からない。
TBSのヘリコプターです。あれは報道だよ、と伝えると、手を振り始める友達。
余震が収まるまでゲートで待機しつつ、
飲み物を調達することにします。園外の自販機で買い出しラッシュになりました。
前年度の担任の先生が居て、お金を貸してくれました。
これを駐車場組で分け合いました。
浦安市の帰宅困難者向けマップを入手し、
園内に取り残された人たちと連絡を取る人、
自販機に水を買いに行く人、
近くのコンビニに食料品を買いに行く人、
と別れて駐車場を離れることに。
この時、保護者のいない世界でサバイバルをしているような、
不思議な高揚感があったのを覚えています。
私は自販機に買い出しに行きつつ、周りの状況を偵察しに舞浜駅方面へ。
駐車場はすっかり噴出した泥で埋まってしまいました。
この泥、ヘドロという呼び方がピッタリなほどにねっとりとしていて、
靴の裏の溝に入り込んで溝を潰してまっ平にしてしまいます。つまりヘドロの上を歩くと靴底がツルツルに滑りやすくなって転倒するリスクがあるんです!これは知らなかった……。
しかもきめ細かいので簡単に取れず、この泥の上を歩くのはかなり厄介です。
なるべく避けて歩くことが求められます。
あちこちに買い出しに行く人々。
道路はゆっくり流れているようですが、高速道路は通行止めとなっていました。
高速道路の通行止めが解除されないことには帰れないだろう、みたいな話をしていたのを覚えています。
舞浜駅方面に向かうと、駅が閉鎖されて途方に暮れる人々が居ました。
ランドへつながるデッキは液状化によって変形してしまい、封鎖されていました。
舞浜駅一階の床は大きくゆがんで波打っていました。
橋脚は浮きあがり、噴出した泥がパイロンを飲み込んでいます。
通行の危険を考えて、ポールを置いてくれた人が居たんですね。
駐車場にできた大きな池に、夕日が写る幻想的な光景です。
これが液状化のヘドロであることさえ除けば……。
駐車場に戻ると、バスの中でパーク内の同級生と電話をしていました。
どうやら、「体調が悪いと言って出してもらえ」というのを信じて仮病を使ったものの、
本当に救護所へ案内されてしまい、そこに居合わせた本当に具合の悪い人たちを見て、
罪悪感からパニックに陥ってしまい、本当に気分が悪くなってしまったようです。
電話を替わってみると、もうなんか半べそで全然受け答えが出来てなくて、
「出て行けと言われないのならそこにいて、
落ち着いたら元気になりました、ありがとうございました、って言えばいいんじゃないかな」と答えて、
そのあとワールドバザールの様子を見に行きました。
どうやらまだ通行できない様子、
シンデレラ城の向こうの様子は全く分かりません。
あとで知った話なのですが、園内はポップコーンや雨合羽の配布があったりと
臨機応変の対応がされていたようですね。
私たちは彼らが戻ってきたときに水分補給ができるようにと水を買い込んだり必死だったのですが、
他の被災者の人たちのことを考えずに買い占めに突っ走ってしまったこと、当時精いっぱいだったとしても次の地震の時には考えたいなとか思ったり。
東京ディズニーランドホテルなどはライトアップで輝いていました。
まさかこんな夜中までパークにいることになるとは思わなかったのと共に、
夜のパークって面白そうだなと思ったりもしました。
まぁ、夜を満喫するのは11年後になるのですが……。
バスに戻っても、彼らが返ってこないことには帰れません。
手元には水と、あと何故か鞄の底に入っていたカロリーメイト一本。あまりにお腹が減ったので友達と割って食べました。
観光バスについていたテレビで地震の様子を見ることに。
茨城県あたりで起こっていると思った大きめの揺れは、
東北エリアで発生した巨大地震だったということ。
仙台空港の平地部に津波が流れ込んでたくさんの車が流されていき、
原子力発電所が危険な状態にあるという報道が流れます。
自分が思っていたよりも遥におそろしいことが起きていることを、
テレビの映像からやっと知ることができたのです。
そしてその映像を見ている間にも、余震が着てバスがフラフラと揺れます。
すっかり夜も遅くなった頃、規制が解除されて、同級生たちがバスに戻ってきました。
よかったよかった、と思いましたが、高速道路はまだ不通のまま。
結局深夜2時ごろにパークを出発し、
浦安→羽田空港→蒲田→一号線と一般道を通って横浜方面へ戻り、
学校に帰着したのが朝5時とかだったと思います。
ぼーっとしながら、朝を迎えました。
新入生がオリエンテーション中に被災して教室で足止めを食らっていて、私たちは車中泊。
そのあと、保護者の迎えがあった人から引き渡されて帰宅することとなりました。
私の住んでいるエリアは、津波注意報が発令され、小田急や江ノ電も運転見合わせ。
帰る方法はなく、また親も多分来れないだろうという状況でした。
我が家は海沿いなので、何かあれば自宅が壊滅することを想定して山に近い親戚の家に行くことになっていました。
当然、すぐに保護者が来れない人というのはそこそこいて、何人か居残って学食で仮眠をとったりおしゃべりしたりしていました。
そこで、学校が備蓄していた食料が振る舞われたんですが、
あの水を入れて作るレトルトのチャーハンが美味しかったこと……!
ディズニーランドってレストランが混んでいる上にサイズが小さくて、
満腹にならないじゃないですか。
それで昼飯をケチったところに被災したので、そのあとカロリーメイト1個食べただけで、ほぼ御飯食べてなかったんです。
もうあの安心感というか、やはり胃袋を満たすって大事なんだなぁと。
最近、家族が会社の備蓄食料の払い下げを貰ってきたんで試食したんですが、
これ普通の時に食べると、まぁ、そんなもんかって感じの味なんですよね。
でも一晩ご飯にありつけないと美味しく感じるので。もちもちの食感がする保存食ってなかなかないんですよ。個人的にぜひ保管しておきたい一品だったり。
しかし、ちょうど振り返ろうと思っていたら大きな地震が来て、
とても驚きましたね……。
風呂上がりにテレビを見ていたら、東北、北東北、南東北、関東、新潟、だんだんと地図が黄色くなって緊急地震速報のアラームが鳴る……。
でもあれだけの精度で地震を検知したり、 急に揺れたのに新幹線が転覆せずに済んだりと、
技術は格段に進歩しているんだなと思いました。
ちょうど我が家は先日ことめっとを買ったばかりでして。ことちゃんを枕元に置いています。
身の安全に気をつけていきましょうね。
それではまた。
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