影取から歩いていきます。
町中華があったのですがお休みでした。
アサヒビールの看板は墨田区や葛飾区の方で時折見たようなスタイル。昔は企業が囲い込みの一環で看板を作ってくれていたんですかね。
このあたりの住宅地にわずかにモノレール跡の細い土地があったのですが、現在はそんな細い土地にも細い家が立ち、空撮で見た時ほどの見分けはつかないと言う状態。
製材所の脇を通過していたみたいです。
ここはわかりやすいですね。ここをモノレールが走っています。右が聖母の園、奥がウィトリッヒの森です。
この先私有地なのかよくわからないので迂回します。
この一帯は横浜市と藤沢市の境に近い場所で、境川が流れています。そこに沿って農業地帯が広がっています。
私には横浜っていうとこういうイメージがあるんですが、こんなところでもマンホールにはベイブリッジ。
右手に見える森がウィトリッヒの森です。
もしかしなくてもこの森がこんもりしているのはここにモノレールが走っていたからです。
見えてきました。横浜薬科大学図書館棟、
かつての最高級ホテル、ホテルエンパイアです。
霞ヶ関ビルに先立って建設された、21階建の超高層ビルからは江ノ島など付近の風景をよく見ることができます。
2019年の台風で破損した屋根の修復にあわせ、
手すりの修繕など大規模な修繕工事を行なっています。
足場ができたことで、しばらく消えていた五重塔らしさが戻ってきました。
ウィトリッヒの森に近づいてみました。
きっとここがモノレールのルートなんですが、
すでに草むしていて、虫もいっぱいなので退却。冬にまた調査することにしましょう。
近くにモノレールらしい構造物を発見して写真を撮りました。
後日調べたところこれはモノレールの痕跡ではないらしい。
てっきりモノレールの線路だと思ったのですが……この築堤に乗っていたわけではなく、すこし左側の崖の下を走行していたらしいですね。
いかにもな出っ張りですが、これも画面右を走行していたらしいです。
ただ、モノレールがこの辺を走っていたことは間違い無いです。
この辺りからモノレールの橋脚が複線になりました。かつて六会方面への計画路線がありここから分岐する計画だったのだと思います。公文書館に行けば何か得られるでしょうか。
電柱が低くなるのはモノレールの通っていた証。
ここから境川の支流、宇田川に沿って走っていきます。
そして川を跨いでドリームランドへ向かいます。
ここは私も車でよく通過する道だったので線路の存在をよく覚えています。しかし昔はこんなに住宅がなくて、モノレールは藪の中に消えていく存在だったんですよね。
撤去と同時に整地されてすっかり宅地化してしまいました。人間の住む力ってすごいです。
右向け右してドリームランド方面へ。
中央分離帯がありますが、ここに橋脚がありました。
こんな感じ。記憶ではもうちょっと低かったかもしれません。
車を見計らってちょっと失礼……。
橋脚を抜いたあとコンクリートを貼り直した時は白いコンクリートが橋脚の存在を訴えていましたが、20年も経つといつの間にか黒くなるのですね。
こんな感じでした。
奥の住宅地はかつてモノレールがあった頃は自動車販売店で、これまたモノレール橋脚を飲み込んで坂道に車両を置いている不思議な店舗だったんですが、写真がないんですよね…。
そしてランド坂を登ります。
ランド坂は橋脚のみならず線路も複線で建設されていました。しかしほとんど使われず線路は藪の中に埋もれていた記憶があります。
複線だったが故に撤去後まとまった土地ができて、ここも宅地化されました。
右に緑のフェンスがあります。どうやらこの辺りを走行していたようです。
駐車場のスレスレをモノレールは通過していました。
私はこのレールを直接見た記憶はありません。
車でドリームランドに行った時、レールを目で追っていたつもりだったのですがどこかに消えてしまったのです。
そりゃこんな地平スレスレを走っていたら、子供にはわかりませんね。
ホームへ登る階段の遺構です。
橋脚も全て撤去された今残されたのはこれだけですね。
ドの字の杭が残っています。
保存できないものだろうか……。
かつてのドリームランド駅の駅舎があったのはここドリームビルの脇。
ローソンドリームランド駅前店は閉園まで長らくここにありました。
ドリームビル。
1階の横浜銀行は閉店。
2階の厚生施設も閉鎖しているように見えます。
大学関係者、来客のみが利用できる施設です。
学祭のときに寄っておけばよかった。大丈夫かなぁ……。
裏手に回ってみます。ホーム、車両基地があったようです。
ふらっとステーション・ドリーム。
交流センターみたいなところ。
花の店ドリームは閉店して看板が塗りつぶされていました。
ドリームランドの遺構と言われる建物です。
俣野公園に来ました。
かつて潜水艦の池があった辺りですが、
調整池を兼ねた広場になっています。
どこまで土木工事したんでしょうかね。
しかしおしゃれな空間になったものです。
ここは相州春日神社
もともと奈良ドリームランドを発祥としているドリームランド。奈良県から鹿を連れてきてぃす。
神鹿苑という施設。
鹿せんべいを買えます。
ミー!って鳴くのはご飯が欲しい合図。
むしゃむしゃ食べます。
他に野菜やパンを持ってくる人、動物園で働きながら面倒を見にくる人などがいるようで愛されているんですね。
そして鹿せんべいの紙はゴミ箱に……。
ドリちゃんゴミ箱、かつて園内各所で見られたドリームランドの遺構です。
生ゴミ入れてるからなかなか保存は難しそうだけど。
図書館棟のエンパイアらしい姿を一枚。
国道1号線は渋滞していたので、大船行きのバスで帰りました。
スイスイと走ってくれたのでよかったですね。
さて、最後のドリームランドのところはだいぶ油断しておりました。
痕跡があるようですっかり消えていたことに驚きです。もっと前に探索していればと悔やんでも小学生の私がここにふらつくことはなかっただろうし、協力者になってくれる大人もいませんでした。悔しい……。
そして初見でみるともうモノレールがあったことを示す痕跡って本当にないんですね。宅地造成の威力があまりにも強くてどうにもなりませんでした。
20年の時の重みを痛感する散歩でした。
伊豆やお台場など名残の残る場所にあれこれ行きましたが、やはり永遠に続くものはなく、どんどん消えていく……。
飲み屋の名前にドリームランドが使われて再び知名度を持つことはいいことなんですけど、
ぼろっちくて子供騙しな遊園地の姿、どうにか語り継がないものか……悩ましいものです。
ドリモノ乗ったことがある人は流石にもうこの世にそう多くないはずで、廃線跡の資料をお持ちの方、ぜひ色々見せて欲しいです。
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