木古内駅に到着いたしまして。

旧幕府がオランダから購入し、新政府軍が使った軍艦咸臨丸が眠るサラキ岬が観光名所。

北海道新幹線開業推進キャラクター「どこでもユキちゃん」です。

いそいそと駅前の道の駅へ。
道南いさりび鉄道は新幹線と違って海沿いを走るので、やはり北海道入りするならこの車窓が欲しいと思って準備しておりました。
ここで「いさりび1日きっぷ」を購入します。
通常木古内→五稜郭は片道1170円。
じつは木古内〜新函館北斗の特急料金の差額くらいで乗れてしまうので、函館入りを演出するならわりと選択肢に入れていいものだと思います。
さらにここで販売している1日乗車券は、なんと自治体の補助のよって1枚700円と価格がバグっているので片道利用でもお得。
乗り換え時間は30分程度なので、実はあまりモタモタしていられません。早く切符を買わなくては。
ほんとは道の駅もじっくり見物したかったけど…接続の関係で長居ができない!すまん!!

キーコちゃん郵便ポスト。

※口から奥に入れてください

この口の奥の上の方に入り口がありました。一般のポストのような金属蓋はなかったですね。

振り向くとなんか不穏な電車が止まっていて驚き。JR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」です。
ミュージックホーンをピポーピポーポピーと鳴らして発車。車掌さんが手を振ってくれました。

ヨンマルと並びが撮れなかった。ぴえん。

ということで駅に向かいます。

木古内駅は昔から橋上駅舎でしたが、少し増築され、見た目も昭和末期テイストからしっかり平成テイストに改装されていました。慌てていたので撮り損ねちゃった…
いまはエスカレーターで上に上がるスタイル。

巨大な木のプレートです。

改札口周りは昔と変わらないですねぇ。
江差線の末端部が廃止になる最終日に訪問したのが懐かしい。あのときたまたまツイッターのフォロワーに出会ってしまったり、不思議なことがたくさんありました。
木古内駅は鉄道資料室みたいになっていました。

有名どころが残っているように見えつつ、あんまり木古内にはゆかりがない気がしますね。
隣にある駅名標を撮り損ねています。
札苅と尻内が並ぶ津軽海峡線の駅名標でした。
そっちの方がオリジナルやんかぁ……。

C62ニセコの展示。

大きな模型もあります。お高いやつですね……。

おおぞら、オホーツク、宗谷。
今でも残る特急列車ですが、かつては青函連絡船に接続し、函館から道内各地を目指す特急列車でした。しかし航空機が庶民にとってリーズナブルになると、北海道の玄関口は次第に千歳空港となり、次第に特急ネットワークは札幌中心になっていきます。

1988年に青函トンネルが開通すると、青函連絡の拠点はここ木古内となります。
快速海峡という客車列車が青函トンネルを走りました。快速と言いながら本当に快速みたいな列車と普通列車みたいなやつと色々あったようです。所定は50系4両ながら客車ならではの柔軟な編成組み換えによって多客期には長編成運行が行われていました。青函連絡船で4時間かかっていた船旅は、快速海峡の登場で2.5〜3時間程度に短縮されました。

茂辺地とかいて"もへじ"と読みます。
ローカル列車の客車に取り付けられていた方向板ですね。

では、発車時刻が迫っているので乗りましょう。

函館、五稜郭方面は4・5番ホームへ向かいます。
というか、4・5番ホームしかありません。
この駅は非常に複雑な歴史を持っています。
木古内はもともと江差線が1930年に上磯線として部分開業した時の終点で、その後1935年に途中駅に。1937年には松前線が尻内方面に伸びて分岐駅になります。
1988年に松前線が国鉄の合理化政策によって廃止されてしまった一方、それまでローカル線だった江差線は1津軽海峡線という青函連絡の大動脈として整備されました。1〜3番線は津軽海峡線の旅客列車や貨物列車が使うために電化され、ホームも延長。そのまま気動車用ホームとして江差線のローカル列車用に残されたのが4〜5番ホームでした。
そして2016年の北海道新幹線開業によって、津軽海峡線は貨物列車専用線となりました。
1〜3番ホームにもう旅客列車は来ないので、もともとペラッペラだったホームはあっという間に撤去されてしまいました。今も行き場のない跨線橋だけが残っています。

車両はそんな江差線の生き証人。
キハ40 1807
原番号はキハ40 131。1992年にワンマン対応改造を受けてキハ40 807と改番され、函館へ転属してきて以来函館本線や江差線を走ってきた車です。
2009年に延命とパワーアップのためにエンジンや変速機を換装され、キハ40 1807に改番。
いさりび鉄道には函館のキハ40のうち比較的状態の良いものが餞別として譲り渡されたようですね。

隣に貨物列車が入線。
北見からやってくるオホーツク玉ねぎコンテナではありませんか!

検査は平成30年5月に五稜郭車両所で受けていますね。廃止が決まりいよいよ検査業務も終了したのでこの表記が見られるのもあとわずか。

JR北海道の駅名標からはサッポロビールが消えることが発表されましたが、いさ鉄はどうなるんでしょうか?

小さな案内標が残ります。

では、乗り込みましょう。

二重窓を額縁に車窓はゆっくり動き始めます。足元にはエンジンの音。かなり暑い。

山は黄色く色づいています。

そして海を眺めていきます。

泉沢駅。ここはサッポロ消されていますね。いさ鉄も消えてしまうのでしょうか。

津軽海峡を眺めます。
私が北海道に住んでいたのは、この路線が津軽海峡線と呼ばれていた頃。長万部に向かう列車は、上野を19時に出る北斗星でした。
当時は新幹線が青森までで陸路では3回の乗り換えが、飛行機では2回の乗り換えが必要だった長万部。寝ていれば9時前に到着する北斗星は便利な移動手段でした。
その北斗星が青森を4時台に出て、函館に到着するのが朝6:30くらい。夏休みごろの北斗星の車窓では、江差線区間はほんのり陽の光が差した早朝で、澄み切った空が旅行者を出迎えていたのです。
ですから、乗り鉄な方にとって、江差線から見えた海を北海道の入り口の景色として記憶している方も多いのではないかと思います。

ここがサラキ岬。航空写真で見ると確かに出っ張っていますが、線路からはあまりよくわかりませんね。
正面にあるのは、この沖に眠っているとされる旧幕府の軍艦、咸臨丸のオブジェです。オブジェといってもこのオブジェの出自はいちおう船で、なんと青函連絡船十和田丸(最後のではなくそのひと世代前の)の救命ボートを改造したものなんだとか。現代に残る貴重な連絡船の遺産です。

これ、めちゃくちゃアピールしてます。
ちなみに江差線のかつての終着地、江差には、旧幕府の残党が強奪した軍艦、開陽丸(開陽とも呼ぶ)が眠っていて、浜辺に船を再現したかのように資料館が建っています。行ってみたい場所なのですが、汽車がないとなかなか行く気にならない場所の一つですね…。このサラキ岬もレンタサイクルでヒーヒー行くべきなのか悩む場所。車があればなぁ。

函館本線などはわりと荒野の中をひたすら走っていく路線なのですが、江差線の沿線には住居が点在していて、人の営みを感じることができます。この路線が新幹線開通後も生き残ったのは、車社会ながらも通勤通学輸送にはある程度の需要があるからで、免許を手に入れるまでの18年間とはいえ貴重な足となっているのは嬉しいことです。
こういうふうに民家の向こうに海が見えたり、道路の向こうに海が見えるような景色が続くので、私は密かにこの路線を「道南の江ノ電」とよんでいるのです

釜谷駅です。ワムハチですかね。

少し線路が高いところを走り始め、
函館山が見えてきました!

そしてススキに囲まれます。

岬の内側を列車は進みます。

江ノ電よりも見晴らしが良いですね。

だんだんと函館市街地が近づいていることを実感しワクワクしてきます。

渡島当別駅にやってきました。郵便局と駅舎がひとつになっています。
駅舎は近くにあるトラピスト男子修道院をイメージしたものです。自給自足のために労働して作っているトラピストバターやトラピストクッキーは有名です。カトリック幼稚園に通っていながら讃美歌や礼拝のルールは忘れてしまうくらいには信じる心に乏しい人間ですが、教会にソフトクリーム売店があると聞けば行かない手はありません。いつか訪問してみたいところです。
この駅とは実は札沼線に石狩当別という駅があったんですが、近年当別に名前が変わったんですね。この駅がJRだった頃は紛らわしいから名前をつけていたんでしょうけど、その心配もなくなったからでしょうか。

ここから少し内陸の山を通っていきます。トンネルを抜けていきます。最近までJRだったこともあるせいか草木に覆われながらも、天竜浜名湖鉄道のようにバリバリと植物に当たるような支障はなさそうです。雪が降るからですかね?

函館沖は巴印と言われるように円弧を描いていて、ずっと走ってきた土地が右手に見えてきます。

やがて日が沈みます。まだ少し明るい時期でよかった。

函館山の左側に広がる薄く広く白い土地は函館の市街地です。
とうとう見えてきました。あれがわたしたちの第一の目的地。

汽車はゆったり走っていきます。

漁港のような港湾がちらほらと見えたりします。
茂辺地駅にやってきました。
ここは鈍行が青函連絡特急を退避するのに使っていた駅というイメージがあって、錆びた通過線を寂しく感じたり。

キハ40 1793 「ながまれ号」とすれ違います。

ながまれ号はいさ鉄が発足する際に、食事ができるようなテーブルを取り付けられるよう改造されたイベント車両で、周遊列車に使われることがあります。
いわく「日本一貧乏な観光列車」
普段は一般の列車に混じって走行しています。
そしてカラーリングも最近シンプルなものに塗り直されてるとかで、この派手ないさりびをあしらった水玉模様が見られるのもあと僅か?なおさら早く木古内に行かなくては!

また山の中を走っては、再び海沿いへ。
この感じもすごく江ノ電を感じませんか。人も民家も本数もなかなか少ないけど。

市街地がよりはっきり見えてきました。
画像左端、ちょこんと出っ張った建物が、あの五稜郭タワーです。

まもなく上磯です。

上磯にはセメント工場があり、沖に船を止める桟橋があってそこから内陸部までベルトコンベアが伸びていて、まさに要塞といった姿をしています。
町も大きく、駅も大きい。上磯止まりの列車も運行されているので、ここまでは割と行きやすいところかもしれませんね。

市街地スレスレを走ります。
北海道にしては珍しい風景だと思うんですよね。

セメント工場の煙突と共に。

上磯駅のいさ鉄サインです。
学生がドカドカっと乗ってきます。

あれが駅舎でしょうか。

この車両には席番号が記されています。
今時なかなか見ないですよね。思わず撮影。

東久根別駅。ここは車掌車と合造の無蓋車が駅舎です。

五稜郭駅が見えてきました。五稜郭公園に行きたい人は函館駅まで移動ののち路面電車で行くことを推奨される、わりと詐欺っちい名前の駅です。

キハ281系が止まっています。このまま解体されるのでしょう。
さて、いさ鉄の列車は地域住民のニーズに応えるため、すべての列車がここから函館本線の函館駅に直通するという運行形態をとります。したがってJR北海道との連絡運輸が設定されているのですが、今回のフリーパスは五稜郭までが有効区間なので、この先は清算が必要です。
もちろん函館駅で清算を頼めばいいのですが、それではなんか、味気がありません。宿へのチェックインもまだ余裕があるし。
実はこの列車の少しあとに、函館本線の長万部方面から来る函館行きの鈍行列車が合流してきます。いさ鉄に転属したヨンマルの旅はここで一区切りとして、ここから一駅、JR北海道の旅をしてみることにしましょう。

北海道のワンマン列車の乗り方、ご存知でしょうか。基本的に無人駅では、
乗る時はうしろのドアから乗って整理券を取り、
降りる時は前のドアへ行き料金を払ってから降ります。
整理券番号を確認して運賃を払います。バス路線と同じような感じですね。
切符を持っている人は見せるか渡すかします。

ICカードが使えない運賃箱です。
整理券発行機の更新が進む中、いさりびは前の仕様のままらしい。

いさりび1日きっぷ、おせわになりました。
もうちょっと乗り回そうか悩みましたが、函館駅なのでちょっとやりにくくて今回はパス。来年も売るならぜひ上磯とか散策してみたいなぁと思います。

南イサという電報略号の再現も見事。

ばいばーーい。

行っちゃいました。
ここで改札口に行って切符を見せ、こんどは五稜郭から函館までの200円の切符を購入しようとしたのですが、なんと券売機が塞がっている!高額な乗車券を買おうとして戸惑っているみたいなんだけど……。
頭が真っ白になりながら、隣にあった指定席券売機を叩いてみたところ、東日本同様に普通乗車券が売られていたのを確認! バババっと叩いて発券し、いさりび鉄道の売店でグッズを買って、スーツケースを持ち歩いている勝田さんには申し訳ないけれど……階段をガンガン走ります……!!
きうじはこうやっていつもランニングをしているので両手が空くように首ががんじがらめになっているんですねぇ。

間に合いましたねー!
隣にはいさりび鉄道を経由してきた本州からの貨物列車が入線しています。私たちの乗ってた列車の後ろをついて走っていたんですね。

キハ40 1813
聞けば未更新の700番台は今年の春に完全に廃車になったそうですね。
コロナの数年間で失ったものが大きい。コロナの前にもっと優先度高めてこっちに来ていればと悔やむものが大きいですね。まぁあの頃は北陸にお熱だったので仕方ないですけど。

五稜郭車両所で改造されたようです。製造メーカーの銘板は外されたのか、それとも……。

確かにJRの車は新しい整理券発行機ですね。

さっき乗ってきたタラコヨンマルが並びます。
まるでJRへの転換期のような風景です。

連結作業が行われ、列車は2両編成になりました。このまま森方面へ折り返すらしいです。

このカラーリングは主にJR北海道のワンマン車に塗られた色です。
長らく時が止まっていた北海道も、安全対策のために新車導入が急速に進みまして、この色もやがてなくなるんですねぇ。

いやーーやってきましたよ、はこだて!

1時間半くらいの旅路でしたが、楽しい旅でした。
道内津々浦々、だいたいどこも、海があり、山があり、道があり、草が生えている。で説明がついてしまう中、これだけの距離に名所がぎゅっと詰まっている路線はとても面白い。
このバラエティが江ノ電に通ずる魅力で好きなんですよね。

函館駅には巨大ジオラマが。

イカポストがあったので記念撮影。
ということで、無事に函館につきました。
皆さんもぜひ道南いさりび鉄道になってみてください!ほんとはカラフルな列車たちを撮影したりもしたいなぁ……書けば書くほど再訪したい……。
コメント
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ブログ面白かったです
ちなみに渡島当別はさよなら江差線という本によると、根室本線の十弗駅とまざるから「渡島」をつけたという経緯があるらしいです
また石狩当別は渡島当別より後に開業しました。
コメントありがとうございます!
当別よりも十弗のほうが問題だったとは、意外です!