久しぶりにドリモノの話をします。
2022年の冬に、このブログに書いていてた「ドリモノガタリ」を同人誌として刊行したんです。
そうしたら、この本を読んだ方から、
"10形の図面が神奈川県立公文書館にある"とのお話を頂きまして、見に行ってきました。
ブログで読んでくださっていて、コミケで本を手に取ったというお話をいただき、何から何までありがたいといいますか、感激しておりました。
ということで、県立公文書館へ。
二俣川の免許センターの裏手にあります。
住宅地の中に入り口があるので、建物はあるのに入口が見つからなくてしばし迷子になりました。

さて。資料を拝見すると、ドリームランド・メモリーズにあった、ドリモノの図面はどうやらここに収蔵されていたもののようです。
ライトが横を向いている、電気車の科学などにある計画図らしき車体で、簡単な図面が記されていました。
そして橋梁の構造計算についての大量の図面が残されていました。
手書きで手計算も膨大なうえ、土木の専門知識がなくこのような貴重な一次資料を有効活用できないことがとても悔しいです。もしかすると、強度問題のヒントがあるかもしれません。
車両図面については、いずれ利用申請を出して紙媒体にしたいと思います。
さて、驚くべきニュースが飛び込んできました。
先日、藤沢市内にある某高校の文化祭があり行ってきました。というのも、実はこの鉄道研究部に貴重なドリモノ資料があるとOBの方からお話を伺うことができたのです。
それがこちら。

モノレール大船駅の駅名標です!
大船駅は休止期間中も芸術家グループのアトリエとして使われていましたが、92年ごろに老朽化のため取り壊されたとききます。その時ホームにあったものが外されてここに来たようですが、
そんな駅名標が、なぜか横浜市でも鎌倉市でもない公立高校の鉄研部室にあるのでしょう。
どうやら藤沢市内のとある中学校の鉄道研究部のコレクションで、そこが廃部になる際にこの高校の鉄道研究部に移管されたものと伝え聞くそう。しかしそれ以上の出所はよくわからないとのこと。

その全容はわからないですが、
もう一つ展示物として飾られていたのがこちらの時刻表。おそらく大船駅ホームにあったものでしょう。

ドリームランド駅は荒廃してしまった一方、
管理人のいた大船駅は綺麗に残っていたようです。
それが巡り巡って今ここにあるわけですね。
拝見していると、気になる点がいろいろあります。
まずは運行時刻のバラバラさ、
てっきり毎時3〜4ほんのパターンかと思いきや、
全くのバラバラダイヤです。
時代背景を考えると、軌道へのクラックが見つかり、定員制限をしてだましだまし運行していた最晩年の時刻表だとすればいろいろと苦労があったのではないかとは思いますが、それでも一目見てよくわからない時刻表だと思ってしまいます。
もともと大船〜ドリームランド間は8分で結ぶと言われていましたが、時間帯によって7分間隔の時間帯もあります。
ドリーム交通は票券閉塞のため、小雀信号場での停車が必要だったはずで、かなりスピーディな通票交換をやって小雀〜大船を3分程度で走破していたのでしょうか。ダイヤグラムが見たいものですが資料が残っていないのです。
このとき、鉄研関係者からいくつか質問をいただいたので、この場を借りて紹介しておこうと思います。
・なぜ、22時台までモノレールが走っていたのか?
モノレールの最終便が、大船22:25発となっています。確かに、ドリーム交通は大船からドリームランドは向かう路線で、当時は俣野町は田園地帯。遊戯鉄道も同然にもかかわらず、深夜まで列車が走っているのです。
これと対照的な路線が、東急こどもの国線。
こどもの国線はかつて運行時間が8時から18時、さらに毎時一本まだ減便する「休園日ダイヤ」というものまで設けられるほど、こどもの国の営業時間に沿った運行形態を取っていました。
ではドリーム交通がなぜ深夜まだ運行していたのか。私は2つの仮説を考えています。
仮説1: ホテルエンパイアの輸送需要
質問されて咄嗟に思いついたのは、ドリームランドの最高級ホテル、ホテルエンパイア。そこへのアクセス手段だったという説でしたが、振り返ればこの説はイマイチだなと思っています。
大船といえばかつて松竹という映画会社の大船撮影所があり、「男はつらいよ」などのセットが組まれ収録が行われていました。
つまり大船には映画スターがたくさんいたのですが、そんなスターが滞在する格式の高い宿がない、そこでホテルエンパイアが貴重な手段だったようです。だから夜までモノレールが走っていた説。とはいえ映画スターなら車が出せばよかったかもしれないので、22:25まで列車が走る根拠としては乏しいかもしれません。
仮説2: 従業員輸送
これが可能性高いと思っています。以下が根拠です。
実は、大船駅から東京方面へ向かう東海道線の最終列車が、22:52発なのです。なのでそれに合わせて帰宅できるようにしたのではないかと思います。
そして、この説を唱える根拠となる資料が手元にあるのです。
それが、こちら!

ドリーム交通の通勤定期券です!
まさかこんなものがあるとは思わなかったんですよ。だってモノレールで通勤するニーズなんてほぼ無いはずではないですか。
そして注目してほしいのはお値段です。
1ヶ月1800円とありますが、片道170円の乗り物がたった6往復で元を取れてしまう。
そんな定期券ありえますかね? 想像できるのは、従業員の福利厚生としてですね。
遊園地の繁忙期と言える土日を4週間乗ったらもう素が取れるじゃないですか。

裏面です。
「身分証明書は必ず携帯し係員から請求があるもきはおみせ下さい」
これ、本来は通学定期券で学生証を指す文言として使われているのですが、これを通勤定期券にも記載している点が気になります。つまり従業員証を携帯していないと利用できない切符だったのではないかと考えられます。
こうした点から、従業員の帰宅電車とその返却便としてこの時間にモノレールが走っていたと考えているのです。
この定期券は大船駅発行とありますが、おそらくはこの駅名標などと共に大船駅のアトリエから運び出され愛好家の間を点々として我が家に来たのだと思います。
このほかにも、私の手元にはドリモノの切符があるのでいくらか紹介しましょう。

横浜ドリームランド割引入場券付
モノレール往復乗車券
検の印があるので割と初期の年代に発行されたものと思われますが、
日付がないだけでなく金額の記載もありません。
とおもったら、ハンコに300円と書いてあるのですね。

裏は神奈川トヨタの広告。トヨペットコロナパンとクラウンデラックスと2車種宣伝しています。

こちらも
ドリームランド割引入園券付
モノレール往復乗車券
という切符。こちらには券面に値段を記載しています。平日・土日で遊園地の料金が異なったのでこのような記載になっています。
とするとこちらの方が後期のものでしょうか。

裏面は神奈川トーヨーでした。
この切符は時折ネットオークションに出ますが、これも畑のあるものは見当たらず。
インターネットの海を漁っても、このきっぷに日付が入ったようを見たことがありませんでした。
いつかの復活を夢見て発売準備だけされたのでしょうか。気になります。
ここからは、日付入りの記念乗車券を紹介します。

大船駅発行の記念乗車券です。

裏面に(検)マークと券番を記載しているのが初期のドリーム交通の記念券の特徴です。


こちらが小人用。58番とあります。
2枚の切符は同じオーナーから譲り受けたものです。
ハガキ4円、国電初乗りが20円とかの時代、片道90円でもなかなかの出費。子供用だけ買って行く人も多かったのでしょう。

こちらは5月3日発売の切符。
ご存知の通り、ドリーム交通は許認可手続きの遅れで5月2日の夕方から運行を開始したため、初日の切符を購入できた人は限られていました。

しかしすでに223番まだ番号が進んでいますね。

こちらは開業1周年を記念する乗車券です。
券番も鉄道の切符らしくなっています。
日付があるのでこれはこの時駅で購入したものですね。

裏は神奈川トヨタでした。
そしてもう一つ。

御優待乗車証というもの。
これがどういう目的で発行された切符なのかはわかりません。

券番は3450とありますから、かなり大量に発行されたことがわかります。
紙質が他と異なる光沢なのが特徴です。
ほかに硬券乗車券も収蔵しているので公開します。

往復乗車券です。
日付がないので、いつか使われる日を夢見たまま愛好家の手に渡ったものと思われます。

大船駅発行とあります。

小人券もありました。

こちらも大船駅発行です。

団体分乗証

いわゆる団体乗車券を発行して、カップとしての効力は団体乗車券がもつものの、全員がまとめて乗ることが困難な時に全員に配って分散乗車を図る切符です。
浦安の遊園地のモノレールにもあるらしいので、乗り切れないケースを想定したものと思われます。

これも小人用があります。


片道の団体分乗証です。


こちらは小人用。

あとは、片道の乗車券が揃えばドリモノの切符の世界がだいぶ見えてくる気がしています。
改札鋏の入鋏された切符などをコレクションしている方もいるので気になる方はググってみてください。
そして最後にこちらをご覧にいれましょう。

ドリーム交通の茶封筒です。
ワンダーホイールとモノレール10形を描いた、実車に高いイラストと、ドリームランドのロゴに似ながら少し疾走感のあるデザインになっているロゴ。
日本ドリーム観光のモノレールに対する熱い思いを感じます。
さて、こんな感じでドリモノ関連資料をご紹介していみましたが、
今後もドリモノ研究は資料を見つけ次第紹介していきたいと思います。
しかしこんなものがまだ残っているとは、本当に驚きました。
いままで大切にしてきた方々には頭が上がりません。
当時熱心な学生さんがいたのでしょう。
大船駅舎は、私の生まれる前に姿を消しました。
そしてドリームランドは、今の現役高校生たちが生まれる前に姿を消しています。
この資料の価値を知る人がいずれいなくなってしまっても、これは戸塚区の大切な歴史の一つなのです。
東洋一の大遊園地の夢が、どうか末長く大切にされますように。
改めましてご対応ありがとうございました。

さて、じつは我が家にも潜水艦の浮き輪とカニさんがありまして……
20年経つと歴史の風化を強く感じてしまうんです。人も物も永遠ではないので語り継がないといけない。
ドリームランドの最後の語り部となるであろう世代として、いつかドリームランド展をやりたいんだよなぁ。
なんてのが、いまの私のドリームです。
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① パターンダイヤで運行開始
② トラブル発覚
③ 定員半減・混雑時は運行間隔短縮・閑散時は間引きで運行
④ 危険と判断されて運行停止
という流れの中で作成された臨時ダイヤと想像しました。なお数字が赤字なのでこの時刻表が休日用であれば、平日はドリームランド入場者数が減るのでもっと減便させたのだろうと思います。
一番短い間隔の7分間隔(例えば10:08~10:15)ですが、その間に行われる事は
(1) 10:08車両Aが大船駅を出発(車両Bは大船駅へ向かう)
(2) 小雀信号場で車両AとBが列車交換
(3) 車両Bが大船駅に到着
(4) 乗客入れ替え
(5) 10:15車両Bが大船駅を出発
となり、列車交換時の時間ロスを最小にすれば7分間隔は作れそうです。(なお時刻表は秒切り捨て表示なので実際にはもう少し間隔があったかもしれません)
大船発最終列車についてですが私も仮説2に賛成です。22:25の少し前に大船駅へ到着し国鉄大船駅へ移動して東海道線や横須賀線に乗りかえる事を考えた時刻設定で、大船発最終列車はドリームランド駅への回送みたいなものだったのでしょう。
それでは。
いつもお世話になっております。考察ありがとうございます。
定員半減で本数確保しないといけない時間帯に、列車を集中させるための運用とすればバラバラに乱れているのも納得ですね。
もともと15分ダイヤは所定1本で回せていて、多客時に2本出していた。という想定だったとすると尚更説得力があると思います。
そして朝だけは2本体制にせざるをえなくなったということですね。
マジックの時刻表記も気になりましたが、板ごと臨時の物に差し替えていた可能性は考えていなかったです。数字もセロハンみたいなもので貼っていて、変更が効くようになっていたので、試行錯誤しながらコロコロ変えていたのかなと想像しています。
JTB時刻表にドリーム交通のダイヤがないので、本当に運転方式については謎に包まれてしまっています。どこかに資料でもあればよいのですが。
そして実運用ダイヤには必ず時間余裕を持たせてあるので、トラブル発覚後に定員を半減させた時は混雑時に余裕を食いつぶして発車間隔を詰めて、閑散時に発車間隔を延ばした結果があの臨時ダイヤだと考えました。ただしそうだとしてもあの分単位の微妙なズレの理由は分かりません。
次に1編成運用時の発車間隔について考えてみました。
小雀信号所で列車交換時に大船駅へ向かう上り列車が1番線を通り、ドリームランド駅へ向かう下り列車が2番線を通るものとします。ただし大船方の下り場内信号機は2機、ドリームランド方の下り出発信号機も2機あった事が写真で判明しているので、1番線対応の下り信号機も存在した事になります。
すると列車交換がない時は下り列車が1番線を通れるので、信号所の転てつ器は1番線側が定位で1編成運用時に転てつ器の転換操作を不要にしていたと考えます。ただし信号所の両側が別の閉塞区間なので信号所での票券交換は避けられません。
この時2閉塞区間を併合しておけば票券交換不要で無停車通過が可能になり発車間隔を短くできますが、15分間隔を実現できるかどうかは微妙な所だと思います。1編成が故障等で運用外になった時はこの方法で1編成運用を行なったのではないでしょうか。
そういえば、横浜ドリームランドファンクラブに15分ダイヤの時刻表の駅の写真がありました。綺麗な時刻ですね。 増発時は小雀信号場を一線スルーで走行できる可能性は確かにあると思います。その根拠に、ごくごく初期のモノレールにはタブレットキャッチャーがついていました。多分、通過授受を行なって本数を稼ぐのでしょうね。
1編成しか走らないので小雀信号場で票券交換をする必要は無く、大船駅~ドリームランド駅間を1閉塞区間にして小雀信号場を無停車通過した時の片道所要時間が8分だったとします。距離が5.3kmなので平均速度は40km/h弱となり、無理な仮定ではないと思います。
駅での乗降時間を2分とすれば両駅20分毎のダイヤが可能で、10時大船発から始めれば
大船駅 ..... ドリームランド駅
10:00発 → 10:08着
10:18着 ← 10:10発
10:20発 → 10:28着
10:38着 ← 10:30発
等々
となります。
実運用の2編成15分毎ダイヤの輸送能力を100%とすると上記の1編成20分毎ダイヤで輸送能力75%を確保できるので、1編成検査時や故障時でもなんとかなったのだろうと思います。
さて、もし2編成を連結した6両編成をこの20分毎ダイヤで運行すれば輸送能力は150%になるので、本方式を採用していたらどうなったか考えてみます。
小雀信号場は不要で給電設備のみとなります。ただし大船側3両編成の検修庫出入り時に編成を入れ替える必要があるので、ドリームランド駅手前の駐車場付近に転轍機1機と側線を設けます。この付近は軌道高が低いので小雀地区よりも軌道設置が容易です。
なお側線を延長して長後線を作る可能性も残して置き、長後線完成時はドリームランド駅に大船線と長後線を交互発着させればドリ-ムランド駅を大きく変更せずに対応可能と考えます。
一線スルーダイヤ、面白いですね。勉強になります。
実際にダイヤを引いてみると色々分かることが出てくるかもしれませんね。
江ノ電も最近まで2分折返しだったので、モノレールであればもっと簡単にできるのではないかという風に思っています。なので20分ダイヤも実現の可能性があると思います。
長後に線路を作ると、票券閉塞ではどうやってドリームランド駅構内の閉塞を管理するのかが気がかりです。きっと信号システムの回収は必要だと思っています。というか、そこが詰められていなかったから票券閉塞をあえて採用したのかもしれませんね。
[票券閉塞の採用]
ドリラン駅側に車両検修設備があるので2列車がドリラン駅に集まる時があります。つまりドリラン駅~小雀信号場間は同一方向連続運転が発生するので票券閉塞が必要です。
しかしタブレット閉塞が必要な程ダイヤが複雑にはならないので、非自動閉塞であれば票券閉塞を採用するのは自然だったと考えられます。
小雀信号場~大船駅間はスタフ閉塞で対応可能と思えますが、「大船駅に2列車が集まる可能性も考えてこちらも票券閉塞にしておこう。」という事だったのかもしれません。
私は最初、ATSはもちろんCTCまで謳い文句としているのに自動閉塞にしていないのはなぜだろうと思いましたが、ドリーム交通が資金難だったのでやりたくてもできなかっただろうと考える様になりました。自動閉塞であれば自動特殊閉塞になったと思います。
[大船線開業時に側線があったら]
コストを切り詰めた大船線で側線を用意する余裕はなかったと思いますが、もし側線が準備されていたらどうなったでしょうか。
…………………………… 側線━┓
大船駅━━━小雀信号場━━━━┻━ドリラン駅━車両検修設備
側線がない場合は検修等で編成位置の入替えが必要な時に両編成を小雀信号場まで回送するのでかなりの手間ですが、側線と入替信号機があれば(側線と並行している本線の一部も使用して)入替が簡単です。
長いので一旦切ります。
[長後線実現時]
側線を延長して長後線を実現した場合を考えます。どこかに長後線用車両を軌道へ載せる場所を作っておくか、それが無理ならば
元側線部を利用して軌道に乗せる事になります。
ここでは長後線が大船線と同じ2編成による15分毎ダイヤと想定して、ドリラン駅場内信号を下図の①②の位置に設置します。小雀信号場~①間と長後線信号場~②間がそれぞれ独立した閉塞区間で票券閉塞とします。③はドリラン駅出発信号機です。
長後駅━━長後線信号場━━②┓
大船駅━━━小雀信号場━━①┻③ドリラン駅━車両検修設備
例えば大船線列車のドリラン駅到着・出発時は②が停止現示となり、ドリラン発大船行列車が分岐器を通過後に長後線側へ分岐器転換が完了した時点で②が進行現示になります。
ドリラン発大船行列車が遅延した場合は長後発ドリラン行列車が停止現示の②で抑止されて、②が進行現示に変わり次第ドリラン駅へ進入します。
③は大船行と長後行の2基となり、運転士は自分が持つ通票内容と進行現示の信号機が一致している事を確認してから出発します。
これで各線15分毎ダイヤが作れるでしょうか?
なお入替信号機は長後線実現後もそのまま使用可能なので、編成位置の入れ替え作業は信号場を使わずに以前と同様に行なう事ができます。
CTCをやめた理由はいくつか考えましたが、ひとつは、いずれ路線拡張する場合に信号システムを見直すくらいであれば信号システムを最初から構築せずに物理の方が優れているから、かなと思いました。
なので橋脚まで作って置きながらドリームランドにすら転轍機を置かず、小雀信号場だけですべての信号操作が完結するようにして、両駅は信号場から遠隔操作される信号のみとしたのかなと思います。ドリームに転轍機を設置したらあれこれ考えることが増えると思います。
近年でも、タブレット・スタフ閉塞を採用している小湊鐡道に、停電でも問題なく走行できたという逸話があるのでそういう意味では信頼あるシステムだと思います。当時は江ノ電なども続行運転の関係で票券閉塞を採用していましたし、小田急関係者が役員に居たところからして何かしらの入れ知恵があったのかもしれません。
二つ目として、単純にたった2年間で3回もルート変更をしていて、信号システムを構築しているほど時間がなかったというのもあるのかもしれません。しかし3年経てば車両検査があったはずで、その時どうするつもりだったのかはとても気になります。
ただ事実は小説よりも奇なりというか、ドリームの事だから、下手したら本当に何も考えていなかった可能性すらあるかな...などと思っています。
このダイヤは有り得ないのでは?
勝手に時刻を貼って遊んでそうです。
最後は定員だけでなく最高速度も落としています。
元々深夜は不定期運行でしたのでその記述もありません。
運休後、時刻は全て消された状態で、アトリエで
展示していた時もそのままでした。
そのまま中学生に譲渡されているはずですよ。
撤去されてから手が加えられていた可能性は考えていなかったですね。
ドリームランド駅は空欄になっていた記録を見たことがあります。
大船の方は残っているのかと思っていました。また謎が増えてしまいました。
せめて交通公社の時刻表にある程度のダイヤが載っていれば、検証のしようもあったのですが。
ドリーム側が何も考えていなかった訳ではなく、CTCなんて無くても走れるから不要(さすがにATSは必要)、票券閉塞で問題無し、長後線はちょっと準備したけれども案件凍結、とにかくできるだけお金をかけずに大船駅~ドリームランド駅間を運用開始しようと突っ走った結果ではないかと思います。
なお票券閉塞では閉塞区間両側の停車場の運転取扱者が電話で打ち合わせて閉塞を確認してから運転士に通票が渡されるので、閉塞完了時に発側が出発信号機を、着側が場内信号機を進行現示としたのだと思います。もちろん小雀信号場では転轍機が転換完了するまでは進行現示が出ない様になっていたはずですが。
「開業時の設備投資が小さい」「ランニングコストの中心が人件費(=安い)」といったところで考えられていたのではないかということですね。確かに金に困っている様子はのちのハイツの様子からも見てとれます。
私も票券閉塞をきちんと理解できていなかったです。確かに両駅(もしくは信号場)と打ち合わせして閉塞を作るのであれば、進路開通とは別の話になって来ますね。この辺りの運転資料、きっとあったのでしょうけど散逸してしまっているのでしょうね…。