立山黒部アルペンルートが変革期を迎えようとしています。
ついに立山トンネルトロリーバスが電気バスに転換となり、
さらに黒部湖の遊覧船まで廃止になってしまうんだとか。
ずっと憧れていた乗り物に乗りたいと思い、最終新幹線に飛び乗りました。
0キロポストです。
今回、初めて新幹線Eチケットという、スマートフォンで予約してSuicaで改札を通るタイプのチケットレス切符を使ってみました。
使い勝手ですが、Suicaなので家を出てから地続きで使えて、目的地が新幹線停車駅ならとても便利です。
たとえばこれが青森とか函館みたいに、その先で紙の切符がいるとかだったら、一枚で発券しておくのが良いと思います。
自販機でカップのホットココアを買って飲むことに。血糖値上げて気絶するに限ります。
こんなガラガラな新幹線でなんで隣に人が座ってくるんだ……おまけに短距離なのになんで窓側とってちょこちょこ移動してくるんだ…という席ガチャに失敗。おめめぱっちり。
長野です。
信州というのはこういう古き良きJR東日本が残る土地です。
待合室も静かです。
巨大アルクマです。
牛に引かれて善光寺、
あちこちに牛が隠れています。
シャッターを眺めるのも夜の特権というもの。
東急百貨店は静かでしたが、
しかし夜の繁華街は賑やかで、まだ若い人がたくさんうろついています。
これが信州に行って意外に思ったところで、比べるのは失礼かもしれませんがこれが函館とか青森とか海の街にいくともう閑散としてるわけです。
歩いていると異様に思われたりする。
けど松本や長野は新幹線がもうなくてもこれだけ元気なんです。
新潟とかどうなんだろうなぁ。
オリンピックのマンホール蓋。
飲み屋を出てきて盛り上がる人たちもいるし、
近くの施設でナースをたくさん見かけました。夜間診療やってるんですかね?
カフェとかも興味深く、本当はじっくり滞在したかった……。
湯気に誘われラーメン屋に入る。
チャーシュー味噌ラーメン。
麺は黄色で太め、粒がはいった信州産の小麦で作った麺だそう。
そして信州味噌を使っています。味噌ラーメンで麹の味がするとかあんまり考えたことなかったかもしれない。
あったまって、ホテルへ歩きます。
おや。
エレベーターが光っていました。
宿の向かいにもエレベーターが光っていました。
長野は光るエレベーターがたくさんあります。
きっと昔は権堂のヨーカドーも光ったのでしょうねぇ。
ホテルの朝食。
バスに乗るので抑えめ。
当然のように出されるリンゴジュースで喉を潤します。
市役所前から一駅、電車に乗りましょう。
いつのまにか食券販売機みたいな券売機になっていましたが、地紋ありまふ。
入鋏省略、自動改札もない地下鉄。
昭和の空気が残った不思議な地下鉄です。
来ました。もと東急8500系。
中間車から先頭車に改造した編成のようです。
志賀高原の高山植物という広告も大好き。
本当に地下鉄ライクですよね。
長野駅に到着。だあっと人が吐き出されます。金曜日の朝ラッシュでした。
江ノ電も昔、藤沢駅を地下化する計画を立てたことがあるらしいのです。
石上から藤沢って地形も上り勾配になっているので、トンネルにしたらまっすぐ行けると。
ところが車両の難燃化とかに課題があるとかで、一部の連結車の主電動機を増強して高架化に転じたのだとか。
ほかにも地下駅は電気代が常にかかるし、保守用の側道もないと言うことで、これはこれで地方私鉄になかなか大きな課題になるんだとか。長電は路線縮小がありましたがまだまだがんばっています。のりつぶししたいところですが、じっくり乗りたい路線の一つです。
ほんとうは、もう少しじっくり観察したいけど、
このあとスノーモンキーもくるんだけど、
後ろ髪を引かれる思いであとにする長電でした。
空が近い、思い出の北信濃
こういうメッセージがあちこちに散りばめられていて、景気のいい時代を物語っています。
乗れないけど、グッズ買っちゃった。
本物のロマンスカー がここにはあります。
JR長野駅への地下通路を歩きます。
いい床タイルですね。
眠い目擦ってバスターミナルへ。
アルピコ交通のバスです。
いわゆる松本電気鉄道と呼ばれていた会社です。
まだ松本の電車には乗ったことがありません。
信濃大町経由、扇沢駅いきです。
9時発で1時間半ほど揺られます。
田舎の道をゆるゆる走っていく路線バスです。
特急バスですが、高規格道路を走る高速バスという感じではありません。
つきました!扇沢駅です。
ちょうど白く見えた岩肌の下に電気バスが見えます。
ことしは電気バス開通6010年の節目ということで色々キャンペーンをやっているそうです。
関電トンネル
扇沢駅
かつてはここが関電トンネルトロリーバスの始発でした。
トロリーバスは法令では無軌条電車と呼ばれ、線路のない路面電車という扱いがされてきました。そのためここは鉄道駅だったわけです。
2018年に関電トンネルトロリーバスが電気バスに置換され5年が経ちます。
ここで鉄道事業を廃止して自動車を運行しているのですが、駅という名前はそのまま残っているのです。
もちろん、国鉄にも自動車駅と言うものが存在していたので、バスにも駅という言葉は使われるものです。
そんな感じで、なんとなく鉄道らしさを感じる場所になっています。
ルートの詳細がありますが、徹底的に看板が交換されています。
ここも電気バスの時刻表になっています。
関電トンネルは黒部ダムへのインフラなので、工事用車両も通過します。そのためのゲートがありました。
さて、扇沢の案内センターに、トロバス記念館という施設があります。
トロリーバスの歴史を保存する、日本で唯一と言える施設です。
かつて全国的に見られたトロリーバスは、戦後の燃料統制や市電と国鉄の平面交差対策のために作られましたが、路面電車とともに姿を消し、完全な形で残る車両や設備はほとんどありません。
ここにはトロリーバスと一部の部品が残されています。
入ってさっそく出迎えるのはトロバスの座席。背景は破砕帯の湧水です。
車のハンドルに電流計がついている異様さ。
鉄道友の会グローリア賞をもらっています。
鉄道なので。
速度制限も鉄道のものです。
関電トンネルトロリーバスは開業時から鉄道として作られたのが、ディーゼルから転換した立山トンネルバスとの大きな違いです。
なので信号も一から鉄道のものを使っています。
かつては鉄道型の通票閉塞をやったていたようです。晩年はカードのような通行票をもって運行していたようです。加えて続行運転用にトロリーコンタクターを使った台数検知をしていて閉塞扱いしています。
さらにトロリーポールを持たない一般工事車両向けにループコイルを使った車両検知によってトンネルへの進入台数を管理して衝突を防ぐ仕組みは受け継がれています。
これはトロリーバスの特徴的な部品です。
トロリーポールの先端にあるスライダーと呼ばれる部品です。
電車用と何が違うって、横浜市電保存館などのトロリーポールを見てもらうのが一番早いと思うんですが、電車用は溝付きの車輪があってクルクルまわる仕組みになっているんですよ。
ところがトロリーバスは摺動するようになっているわけです。
これは電車が線路の上を走るのに対してトロリーバスが道路上を自由に動けるように左右の可動部を増やしているからなんですね。
電車のトロリーポールは中心からズレるともう集電できませんが、トロリーバスは路駐を追い越したりする時にも左右に首を振ってくれると言うわけです。
そして個人的に面白いのはこれ。断流器。
そして抵抗制御機。
カム軸で動くんだと思いますが、
要するに抵抗制御ですよ。
どうやって運転したのかめちゃくちゃ気になりませんか??
「日本のトロリーバス」と言う本がありまして、そこに載っていました。
なんと、ノッチが10段くらい設定されていて、アクセルペダルの踏み込み具合で進段して、ノッチ表示灯というライトを見ながら運転するというものだったそう。面白いですね。
この「日本のトロリーバス」と言う本、
企画: 関西電力
著者: 鉄道研究家・吉川文夫氏
発行: 電気車研究会
と言う、無軌条電車のための本といっても差し支えない一冊で、
1994年発行ながらまだ新品の取り寄せが可能と言う逸品。
ぜひ皆様、ある時が花、一冊お手元に置いてみてはいかがでしょうか。
こちらは制服。
黒部ダムの大きな模型もありました。
映画「黒部の太陽」で使われたセットも。
こちらがトロバス、関西電力300形、301号車です。
ナンバープレート、ウィンカー、ありません。
頭のライトは速度表示灯ではなく、続行運転の先頭車か後尾車を示す標識です。
ウィンカーがなく、赤いブレーキランプとオレンジの尾灯です。
リアにはしっかり残るトロリーポール。
300形が作られた時代、国内にトロリーバスはすでになく、このポールは海外から輸入したものを使っていたんだとか。
こちらも輸入品のレトリバーです。
これはトロリーポールを巻き戻すための部品で、かつて路面電車にトロリーポールがついていた時代にも使われていました。
しかしトロリーポールはバネの強い力で架線に押し当てられているので、架線から外れると強い力で立ち上がり、トロリーを吊るす吊架線にダメージを与えてしまうことがあります。そうすると架線復旧工事まで必要になり、運行再開が遅れてしまいます。なので、ポールが架線から外れたらすぐに停止して、ポールを付け直す必要があります。
しかしトロリーポールは架線の状況に応じて動くので、ロープにはある程度のゆとりが必要です。
そこでこのレトリバーは、架線追従の範囲のゆっくりした動きには追従しながら、ポールが架線から外れてロープが急に引っ張られたときに、遠心力でロックが外れ、中のゼンマイでポールを巻き戻して、架線の破損を防ぐのです。
ただ、江ノ電がトロリーポールだった頃、車掌がトロリーポールを監視していたのはこうした事情があったためです。江ノ電はタンコロのごく初期にレトリバーを設置していましたが、のちに車掌による人力監視に変わっています。
たぶん、カーブが急すぎてレトリバーが普通のカーブで誤作動したんだろうなと思います。架線を壊した話も聞いたことがあります。
足回りはリーフサス。
エアサスは耐用年数の都合で見送ったそうな。
軽い時は硬く、よく跳ねやすいという特性がありますが、最高速度も50km/hですし、乗る時間も短いし、基本的に続行運転でギチギチになるように乗せる分には良いのでしょうね。
ものすごく見覚えのある機器。主抵抗器です。電車ですからね。
トロリーバスは直流600Vをトロリーポールでやりとりするので、乗降の際には車体接地が必要ということでドアに鉄球がついています。
モノレールなどのタイヤつきの乗り物だと接地軌条と呼ばれるレールが駅ホームにつくのですが、無軌条電車の場合はレールがないのでタンクローリーのような解決策になるのでしょう。
車内にも入ることができます。
3列シートです。
かつては200形というロングシート車があった時代もあるそうです。
運転席です。こちらは完全に実物。
電圧計です。
こういう類のものはよくわかりませんね。
真ん中が架線電圧、右は多分電動機の電圧、左はサービス電源のSIVの電圧でしょうか。
運転台機器です。ドア操作など。
これは電源系統の切り替えスイッチ。
主がトロリーポール、補がバッテリーです。
安全対策として、電圧は低下させるものの20分は走行できる電源があり、集電に問題が生じても関電トンネルをバッテリーだけで走り抜けることができるように工夫されています。
後ろから。点検蓋のつくりも電車のテイストです。
いまどきツーステップバスというのも難しいですね。バスがノンステップ化を突き進めたので、電気バスがあればそちらに切り替えるしかなかったのでしょう。
トロリーバスの背面にある機器の説明がありました。
リレースイッチがたくさん並んでいます。
少し窮屈ですが、それでも屋根付きのところに保管してあってよいですね。
車を立山方面へ回送するサービスがあるらしい。
この建物もおしゃれです。
2階にはトロバスの保存活動の記録が残されていました。
トンネルの模型がありました。
制帽です。
トロバス引退時の横断幕。
トロバスの列車運行図表です。
ここもきちっと鉄道です。
1階からバスを眺めます。
これがトロリーポールの付け根です。大きなバネがあります。
トロリースライダーです。
反対側からも。
電車のトロリーポールは台車の上についていて追従していましたが、トロバスのポールは車体のかなり手前についています。ハンドル操作に追従しやすいからでしょうか。
ではではバスの時間が近づいてきました。
電話ボックスがあります。山の上は電波通じにくいし。
MC-4Pです。
ダム建設を阻んだ破砕帯の水、どこからでも湧いています。
アルピコのバス切符売り場です。
自動車のターミナルという風格があります。
いい文字。
写真看板。
キャラクターはくろにょんといいます。
黒部の太陽のプレートです。
100形の模型がありました。
いかにもバスらしい車体ですよね。
注目なのはウィンカーとして腕木式の方向指示器を備えていることでしょうか。
裏にはあの制御器が鎮座しています。
トンネルから出てきたところを模型化しています。教育用なのかとてもよくできていました。
もうすぐ改札が始まります。
4列で並んで待ちますが、なかなか列が流動的なので強い意志を持って並びましょう。
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