先日、古書店でこのような書籍を入手しまして。

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この本にとんでもないことが書いてあります。
昭和45年の一時期に、302と108に大型の密着自動連結器を装着し、重連運転へのデーターを提供したという。
この書籍を書いたのは、飛田康之氏という、江ノ電の歴史を語る上で非常に重要な人物で、出版も江ノ電沿線新聞社ですから、おそらくちゃんとした内容の記事だと信用しているのですが、さて…

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タンコロに連結器なんて取り付けられるのか?

今回はこれを検証して行きましょう。

まず、連結器装着の背景について整理します。
昭和45年(1970年)とは、江ノ電が特殊続行運転を廃止する1年前のこと。

東急玉川線からデハ80形を譲り受け、600形「赤電」として導入し始めた時期です。

当時の江ノ電の車両は、動力車が動力車の20mほど後ろを追いかけて走行する列車が基本であったため、連結器を使用する場面が故障時の原因などに限られていました。
したがって、タンコロにはドローバーを使い、連接車には小型の密着自動連結器が取り付けられていたのです。

その後、特殊続行運転の廃止が決まると、電車を連結した4両運行の必要が生じ、日常的な使用に耐えうるような、各連接車に大型の密着自動連結器が装着されるようになります。
おそらくこのテストとして、108と302が選ばれたということでしょう。


連結器の形式は日本製鋼所製のNCB-6であることが考えられます。
これはもともと京浜急行電鉄が都営地下鉄との直通運転にあたり暫定的に使用した連結器です。
もともと京急は、ウエスチングハウス社の輸入品をルーツとするワンタッチ式の連結器が取り付けられていました。
ところが、この連結器は特殊で、都営地下鉄や京成との直通を行う上で、故障車の救援などの目的では扱いに困るところがあり、標準的な連結器に交換することになったのです。
そこで、暫定的にNCB-6形に交換し、NCB-2形に交換したらしいのです。
鉄オタな方にもうちょっと話題を逸らすと、この間に直通運転の相方である京成は1372mm軌間を1435mmに改軌するという大工事を行っていました。
暫定的に連結器を交換するっていうのが、大手私鉄という感じですよね・・・。

わたくし江ノ電オタクであって鉄道オタクでないので、京急の事情に大変疎く、
この辺の事情に詳しい方のお話がめちゃくちゃ知りたいんですが・・・
何で暫定的に交換とかすごいことやってるんだろう・・・。


ジェーアールアールの私鉄車両シリーズによると、300形はNCB-6を台枠から吊り下げ、500形は連結器受けにNCB-2を取り付けたとあり、1971年の段階でもかなり試行錯誤があったようです。
けっきょく1000形以降はNCB-2形を装備し、2003まで踏襲されました。


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山梨県南巨摩郡「ターキーズハウス」に保存されている352号の連結器です。
書類によるとNCB-6形の用ですが、見分けがつきません。

密着自動連結器の特徴は連結器の両側につけられた部品で、ここが連結器同士の隙間を減らし、衝撃を吸収する役目を持っています。
詳しいことは日本製鋼の技報を参照



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このように、車体から吊り下げられ、バネで緩衝する仕組みになっています。
さらに検証するために、宮の坂に保存されている601を見てみましょう。

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この連結器にもNCB-6が使用されています。


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こちらは苔に覆われていないので構造がわかりやすいです。
こう見ると、根本で固定してあるほかに、首振りに対応するよう先のほうでも固定されています。

おそらく、タンコロも同じように台枠から吊り下げられるような形で連結器が設置されていたのではないかと考えています。



このような前提知識をもとに、タンコロの台枠を見てみましょう。


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まずは藤沢側。

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長い連結器を格納するには、ちょっと元空気ダメが邪魔なように感じます。
一方で、タイフォンのラッパや、ブレーキ管の排気口が台枠よりやや高く、
もしかすると連結器設置のために移設されたものなのかもしれません。


いっぽう、こちらは鎌倉側の運転台下

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タイフォンなど、邪魔になるパーツがちらほらと設置されています。
本当に連結器を取り付けるところなんてあったのでしょうか・・・?


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数年前、この本を藤沢市の図書館で読んだときに、私が考えた仮説は、
台枠に連結器設置の形跡があるはず、というものでした。

しかし、タンコロは2009年ごろに大規模修繕を受けており、ここで部品の交換などを行いました。
その時点で、バンパーまわりの金属部品は交換されてしまい、根拠になるものがありません。
ねじ穴のようなものも、製造から80年の間に開けられたものが多数あり、
どれが連結器にあたる部品なのか想像もつきません。


ひとつ気になる点があるとすれば、藤沢側と鎌倉側でタイフォンなどの床下部品の取り付け高さが違うこと。
鎌倉側の台枠に連結器を取り付ければタイフォンに干渉しますし、藤沢側の台枠に取り付ければ元空気ダメに干渉します。
107と比較してみたいところですね。

この部品と連結器の干渉という観点で比較をしてみると、112号と202号が最初の連結車として試験的に改造されたのは、元空気ダメが台車の間にあり移設を必要とせず、連結器を取り付けるのも容易だったからではないかと推測できます。

ほかには、105号も台車間の山側に元空気ダメを取り付けていましたが、連結試験を行う頃には、藤沢方に元空気ダメを設置していた110号とともにモーターを取り外して休車になっていたと考えられます。



試験していた当時の記憶がある方とか、いらっしゃればいいのですが、
真相は闇の中・・・。