キハユニ51の隣には、ディーゼル機関車が留置されていました。

なんとロッド式…!
マッチ箱も生き残りがとても少ないですが、木造ボギー客車なんてそれこそオハ60みたいな鋼体化されるか救援車になって潰れるかみたいな印象ですし、よくこんな形で今の今まで残ったものです…。
発注流れを買ったとのことです。
反対側をみると、3等と2等の合造車であることがわかります。
晩年、仕切りは撤去されていて、1995年に復元されたようです。
ヨ2000です。客車の第二の人生だった車掌車のイメージを変えた新造車。国鉄から展示のために借りているものらしいです。

シムトラで車掌車を作ろうとした時に資料にしました。
ヨ2000です。客車の第二の人生だった車掌車のイメージを変えた新造車。国鉄から展示のために借りているものらしいです。

シムトラで車掌車を作ろうとした時に資料にしました。
あれから何年も経ち、まさか本物を観れるとは思いませんでした…。
残ってくれるかしら、厳しいだろうなぁ…。
こちらも国鉄から借りてきたというキ100!
こちらも国鉄から借りてきたというキ100!

小樽で一度見てるんですが、濃密な旅行だったせいか、夏のクソ暑さで脳が死んでいたからか、なんか記憶が薄い…
しかしこのキは、なんと中に入ることができるのです…

貨車の仲間なのはわかるんだけど、後ろから見たら細くてキュートですねぇ。

うぇぇぇぇい運転台じゃぁぁぁ
道理で屋根上に空気ダメがたくさん配置されているわけです。
この空気は機関車のコンプレッサーから取り入れるんですかね?
いつか名寄のキマロキなんかも見に行ってみたいものです。
こちらはキハ101
こちらはキハ101
加悦鉄道といえば、アイツ…
ズーン↓チャーン↑ ズーン↓チャーン↑
もともと17m木造客車を20m鋼製客車に改造というか錬金術みたいなことをして、さらにそれにエンジンを積むとかいう仕様。
キハ10に比べて明らかに重い車体に貧弱なエンジンを積んでいたため、冬の北海道ではSLに押されて走ったとかいう話ですが
緩やかな坂道を走る加悦鉄道では加速こそ鈍くても惰性で走れるらしく、また北海道生まれゆえの暖房設備が重宝して、廃線まで大切にされたんだとか。
そしてエンジンはキハ80のものに換装しているんだとか。
しかしこんな中途半端な産物とはいえ大切にされていたと聞くと驚くとともに、物事どこに役立つのかわからないものですねぇ…。
鋼体化改造
盛岡工場
昭和30年
こんな銘板残ってるもんなんですねぇ…
昭和37年
残念ながら車内には入れなくなってました。
残念ながら車内には入れなくなってました。
いやぁ、なんつーか、現物に遭遇したという実感がなかなか湧かないですが、戦後の国鉄の歴史を物語る存在ですね。
駅舎風の建物の脇に大型車が置かれているのは、車内を活用していた名残と思うと、もっと早く来てみたかった…
キハ10の保存車、
大宮、名古屋、あと七戸か…


























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