先日、とある切符を入手したんです。

それがこの、
大船駅発行のモノレールの切符です。


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ドリーム交通大船線!

やっと手に入れました!!
戸塚に生まれ藤沢で育ったわたしには
喉から手が出るほど欲しかった
ドリームランドモノレールの存在証明の一品。


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ちなみに裏面はこう。

券面に日付はないので発行時期が分かりませんが、
生憎1966年〜67年とだけは特定できてしまうんですよね。
日付がない、という点から、もしかすると実際に販売されたものではなく、
大船駅のデッドストックが何かしらのルートで流れたのではないか、という見方もあるでしょう。

ネットで切符について調べてみると、券面価格が550円のものと650円のものが存在します。
運賃が値上げしたとは考えにくいので、入場料に変化があったと考えられます。そこで、


横浜ドリームランドファンクラブで調べてみると、

 

入園料が平日と休日で分かれていたことが書かれています。
ここから察するに、

・モノレール往復300円+平日350円-割引100円=550円
・モノレール往復300円+休日450円-割引100円=650円

という売り方をしていたのではないか、と仮説を立てて検証中です。

なお、当時国電の初乗り運賃(現在136円)が20円だった時代のモノレール運賃は
片道170円、往復300円と、だいぶエグイ料金設定なので、
割引しても決して安い乗り物ではなかったはず・・・。

浦安の乗り物とかと比較してみたいですね。



さて、すっかり読者を置いてけぼりにしているかもしれませんが、
このブログは、読者層を「ディープな世界にはまってしまった人間」に設定しているので
こんな記事読む人はある程度の知識があるものとして書いていきますが、
興味はあるが詳しくない人向けにサクッと説明すると、

この切符は、1966年5月~1967年9月まで運行された、ドリーム交通大船線の切符です。

湘南モノレールの開業が1970年ですから、4年ほど早く開業し、2年半前に姿を消しているという
まさに幻のモノレールなんです。


このたった2年という期間で運行停止に至った経緯ですが、
山岳路線として運行するために車体構造を強化し、
大船駅への乗り入れ計画を国鉄に受け入れてもらえず、
車両や線路の設計変更を繰り返したことがうまく連携されず、
軌道施設と車両重量のミスマッチを見逃した結果、
設計強度を超える負荷をかけたことで線路に亀裂を発生させてしまったとか言われています。


そして資金繰りの悪化したドリームランドは賠償金を求めて裁判で戦った結果、
決着がついた頃にはモノレールは再起不能な廃墟となっていました。

以来、2002年のドリームランド閉園まで、
HSSTでの復活が議論されては消え、を繰り返し、
35年もの間休止線として放置され続けた幻のモノレール。
いま25歳くらいの人までなら、大船駅の西口に伸びる、謎の黒いコンクリート線路を覚えている方もいらっしゃるのではないかと思います。



話題を切符に戻しましょう。

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イラストをよく見ると、遊園地のシンボルであった観覧車
「ワンダーホイール」や

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現在、横浜薬科大学の図書館棟として現存している当時の超高級ホテル
「ホテルエンパイア」が写っています。
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そして入り口は凱旋門を模したゲートでした。

よく目にするドリームランドのシンボルは、もうこの1966年の時点で完成された存在だったわけです。
(テコ入れに失敗したともいう)
この後目立ったシンボルといえば、ループ付き往復ジェットコースター「シャトルループ」でしょうか。

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画像奥にある、空まで伸びる線路がシャトルループのものです。
手前にある塔の遊具はコンドルと言います。

今年閉園する豊島園にも類似のアトラクションがあるそうですね。



今回は、私とドリームランドの関わりを紹介させていただきましょう。
わたしは横浜の戸塚で育った人間なので、小さいころに何度かドリームランドに連れて行ってもらいました。
しかし、ほとんど記憶がありません。
物心ついた頃には、目の前を通りかかるけれど行ったことがない遊園地になっていました。
親は何度も連れて行ったというんですが、私は記憶にないのだからないと騒いでいた私。

そんなある日、祖母に連れて行ってもらったのが、私の記憶の中で最も古いドリームの思い出。
しかし、その時点ですでにドリームランドには閉園カウントダウンが始まっていました。

小さいころからずっと見てきていたモノレールの線路と並走して坂道を登って遊園地へ。
本当は、モノレールの線路がどこまで伸びているのか知りたかったのですが、
車を止めた位置が悪くて駅を見ることが出来ず・・・もっと見たいといえばよかったなぁと。
言ったところで小学生の僕は相手にされないんですけどね。
あと10年早く生まれていればと思うところです。


閉園してからドリームランドは跡地利用のことで揉めまして
当面は観覧車やシャトルループが山の上から顔をのぞかせる日々が続きました。

ところが
ある日通りかかったとき、頭上にあったはずのモノレールがなくなっていて、
ショックだったことを覚えています。
大人になって東京モノレールとか乗ってみるとなんてことないんですけど、
やはりそういう変わった乗り物が近くを走っていたというのは魅力的で、
乗ってみたかったと強く思うものでした。

しかも当時は現代ほどネットも発達していなかったので、
モノレールはモノクロ写真しか見たことがなく、
想像もできないような車が走っていたのだとワクワクしたものです
(初めてカラー写真を見たとき、期待ほどカッコよくなくて凹んだというのは内緒)

それから、ドリームランドやモノレールについて調査するようになり、
江ノ電沿線新聞社主催の「ドリームランドを語る会」に参加してみたり
色々な方との付き合いが生まれて今に至るわけです。

わたしは、ドリームランドをこの目で見たことのある最後の世代として、
ドリームランドの記憶を残し、記録を伝えていこうと思っています。



その取り組みをいくつか紹介しましょう。
まずは、2017年に、ドリームランド跡地・横浜薬科大学の学祭で調査した
「薬科大ドリームランドレポ」をご覧ください。

こちら、ドリームランド跡地にあたる横浜薬科大学の図書館棟21階からから撮影した旧遊園地の姿です。

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画像右手、3階建てのビル「ドリームビル」が
ドリーム交通(のちのドリーム開発)の本社が入居するビルでした。

その裏手の空き地こそが、かつてのドリームランド駅跡、さらに画面奥に向かって線路が伸びて、2時の方向にある車両基地へ伸びていました。


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モノレールの土地の境界を示す(ド)の杭です。
これが数少ない遺構の一つでしょうか。






ドリームビルの中には入ったことがないのですが、薬科大の食堂として、
ランチの繁忙期以外は一般開放されているようで、ぜひ入ってみたいですね。







ホテルエンパイアの居間








旧ドリームボウルを活用した厚生棟(ボウリング場は撤去されたとのこと)



その他小さな建物もドリーム時代から使われているものがあるようです。





そのほか、私が作ったグラフィックの類。

私が10年くらい前に練習として描いたイラストです。
DreamLand memoriesあたりを参考にして作ったのだと思いますが、形としてはこれくらいの情報を手に入れることができるようになった、というところでしょう。
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大学の頃、3DCGでドリームランドを再現する、みたいなことをやっていたことがありました。

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作りやすそうなウェーブスインガーと、
潜水艦、そしてボブスレーの線路・・・。
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しかし技術が未熟であったがゆえにこれだけで終わってしまいましたが、
モノレールもいつかペーパークラフトとかCG動画とかにして、
いろんな人が簡単に手に取れるような形のものにしたいですね。


・・・ということで、
ちょっと新しく企画を進行中・・・。

湘南の乗り物を愛する「よい子」を量産していきましょう。ヒヒヒ・・・


・ドリームランドについてもっと知りたい人へ

ドリームランドの史料を収集展示しているつよいサイト。
リンクも豊富。


・ドリームランドモノレールについてもっと知りたい人へ
モノレールの模型を作った人のブログ。