港南台高島屋が閉店になるとのことで、
久々に港南台に行ってきました。
港南台は私が10代の半分くらいを過ごした町。
そんな港南台も、大学進学以来、
とくに大学で留年したり人生をダメ人間ルートに振っていたので、就職が決まるまでほとんど行っていなかった港南台にも少し変化を感じてはおりまして。

アスレチックも子供が触るので使用停止になっていました。

昔、この屋上のステージで仮面ライダーオーズのショーがあったとき、
友達と見に行った記憶がありますね。
稲荷も立ち入りできなかったので、遠目にご挨拶・・・

最後に外観をぐるり。


学生時代使った入口はコロナ対応で閉鎖中。


斜面地に立つゆえの立体的な感じ。面白いです。
この当たりは、学生時代、よく散歩をした街です。
多分アレコレ買い食いしてた人からしたら、この先にあるファミマの思い出とか、中華屋の思い出とか、いろいろあるのでは?
良い子に生きることに注力しすぎるあまり、考えることを放棄していたんだなぁと今となっては思います。
制服作ってもらって、採寸して、親があれこれ書いている間におもちゃコーナー覗いて、
ルービックキューブをそろえて逃げる思い出とか・・・。
10代のささやかな思い出ですが、店の場に立ってみると鮮明によみがえりますね。
きっと昔の人が思う百貨店への思い出とは少し毛色が違うのかと思いますが
現代風百貨店への一つの思い出として、ここに書き残しておこうと思います…。
高島屋もフロアにニトリを入れていたりとなかなか苦境にあることを実感してたんですが、
いよいよか…と。
(藤沢のさいか屋も同じことやってるのでちょっと心配ではある)
港南台駅の周辺は、相鉄が開発したバーズと呼ばれる商業施設があり、高島屋と繋がっています。
ちょうど、横浜駅のジョイナスと高島屋の関係に非常に似ています。
相鉄ローゼンのローズも高島屋の薔薇に由来するとのことで、現在こそ資本関係が薄いとはいえ、この2社の強固な関係が伺えます。
根岸線が開業した1972年、この辺は何もなかったらしいですから、相鉄が商業開発に目をつけたのでしょう。
なにより当時の根岸線は鉄道建設公団が作った国鉄線。
鉄道輸送で利益を出し、商業は民業を圧迫しないことが前提でしたから、沿線開発までは出来なかったのでしょう。
ちなみに相鉄の社史って無料公開されているので、
この辺の港南台開拓の歴史なんかも調べたら出てくると思います。
そんななかで開店した港南台高島屋
36年の歴史に幕を下ろすこととなりました。

アスレチックも子供が触るので使用停止になっていました。

昔、この屋上のステージで仮面ライダーオーズのショーがあったとき、
友達と見に行った記憶がありますね。
稲荷も立ち入りできなかったので、遠目にご挨拶・・・

最後に外観をぐるり。


学生時代使った入口はコロナ対応で閉鎖中。


斜面地に立つゆえの立体的な感じ。面白いです。
この当たりは、学生時代、よく散歩をした街です。
しかし、私は買い食いはしない(でも撮り鉄はする)模範的な学生として、
表面を繕って生きて行く道を選んだので、港南台の商業については実はとても疎い!
表面を繕って生きて行く道を選んだので、港南台の商業については実はとても疎い!
多分アレコレ買い食いしてた人からしたら、この先にあるファミマの思い出とか、中華屋の思い出とか、いろいろあるのでは?
良い子に生きることに注力しすぎるあまり、考えることを放棄していたんだなぁと今となっては思います。
とはいえ、全く縁がないところではなかったもので、例えば学生服を仕立ててもらったりしたものです。
男子学生というのは制服をダメにしがちなもので、よく母に呆れられたものでしたねぇ。
ルービックキューブをそろえて逃げる思い出とか・・・。
10代のささやかな思い出ですが、店の場に立ってみると鮮明によみがえりますね。
きっと昔の人が思う百貨店への思い出とは少し毛色が違うのかと思いますが
現代風百貨店への一つの思い出として、ここに書き残しておこうと思います…。
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