前回は東京湾フェリーに乗りましたが
今回も鋸山ロープウェーで山頂を目指します。

赤と黄色のゴンドラが目印。

しかしまた駐車場は大混雑でした。

すました搬器をしてますが、
駅にはご立派なナール体。

駅の中には手書きと思わしき施設の概要を記した看板があります。
ロープウェイは1962年の開業で、今年で59周年。1988年、2012年に搬器を更新して現在では3代目となっています。
最近鋸山は近場のおでかけスポットとして人気らしく、駐車場は渋滞しており駅にも行列が。そして臨時便でのピストン運転が行われていました。

立体風看板です。

危険の文字。いいですねぇ。

こちらが乗る搬器。
いつも2号の方に乗ってる気がしますね。

リベット溶接の大きな柱。
ここも混んでいてあまり写真が撮れないところ。
年休取って平日に行かねば。

CWAの搬器を日本ケーブルが架設したことを示す銘板です。

山頂を側にも概要図があります。
所要時間と三相誘導電動機のところに貼り紙がされています。

下りは歩いて降りようか悩んでいたので、片道券だけ購入…するのではなく、
片道、往復、とりあえず両方購入してみます。
今回は経済復興ツアーなので、
乗るためにお金を使うのではありません。
お金を使うために乗るのです。
なんか改札鋏の形が時期によって変わったりしているみたい。地紋の色が違うのも面白いですね。
切符はお土産として持ち帰れるという、観光鉄道らしき感じ。
ふもとの山麓駅では、なんと乗車券購入にPASMOが使えるので、ICでピッとタッチしたら硬券乗車券を渡される、という不思議な体験ができます。
かつてはこういうのを写真と共にアルバムに貼る風習があったみたいですね。
山頂駅には売店があり、食べ物を売っています。
野良猫がたくさんいてちょっと苦手…
お友達は猫派なので、ちょっかいを出しては逃げられていました。

地獄まん
食べねば。

そして土日祝限定、焼き地獄まん!
ホットプレートで圧縮してサクサクに焼いたやつ。

中はもんじゃ焼きが入っている。

駅長事務室とかこういう看板がとてもレトロなので、搬器が新しくなってもめげずにロープウェイにチャレンジしていただきたく。

そしてこれですよ。

今時食堂って概念よ!
まぁ地獄まんを食べてしまったからいいかってなったんだけどw

資料館には鋸山がかつて石切場として栄えていたころの遺産や、採掘技術についての解説資料が保管されています。

このイラスト、あとで生きてきますので良く見ててくださいね。
昔と今、ということは、資料館が作られた当時はまだ採掘をやっていたんですね(1985年閉山)。
昔は切り出した石を坂道で滑り落とし、さらに車力と呼ばれる猫車にのせて金谷港まで運んで、船によって出荷していました。
現在(といっても40年前ですが)は、索道で吊るして下ろしてトラックによって搬出していたわけです。

房州石の歴史に平成の記憶が刻まれることは遂になかった……。

ロープウェーの仕組みを展示するコーナーもありました。
こういう資料、なかなかネットには転がっていないので、ちゃんと文字起こししたいところですね。ロープウェーの本も買ったのですが……。
また、ケーブルのサンプルも展示されています。

支索、緊張索。
これは名前の通り、ロープウェーのゴンドラを支えるケーブルと、そのケーブルを一定の力でピンと張る(緊張する)ための巻き取り式のケーブルです。
ロープウェーって名前の通りロープの道で、搬器は支索の上を滑車で走るようになっているんですよ。

こちらは曳索、平衡索。
支索の上を滑車で走る搬器を、この曳索で山頂側から引っ張り上げます。
またロープウェーは2台がつるべ落としのように釣り合うので、山麓側にもケーブルがつながっていて、これを平衡索といいます。
この知識を頭に入れてから展望台に出ると楽しいですよ。

金谷港では船が出港するところでした。
手前の空き地は2年前大きな廃墟だったのですが…なんだったんだろう。

こちらが搬器です。 いちばん太くて、重さでたわんでいるのが支索です。
その両脇にあるのが、手前向きの曳索と、奥についている平衡索です。
動力で引っ張られているケーブルは巻き取りやすいよう細いのがわかりますね。

腕は左右非対称ですが、支索をとらえる滑車部分が重心の真上にあれば問題ないです。

そして支索の上に滑車で走行しているのがわかります。
滑車の手前にあるのは塗油装置ですかねぇ…。
だからロープウェイなのです。
これが掴むだけのゴンドラリフトとの違い。

展望台の脇には何やら小屋が。
「竜悦庵」とあります。

中には鏡があって何かが祀られているわけですが、
横におみくじ機がありまして。

回したら恋みくじでした。
こんなところに恋みくじを置くということは普通偶然ではあり得ないので、後で調べてみたところ、
やっぱり「竜悦庵」という名前なだけあって、
本当は立派な「御神体」を祀ってたみたいなんですよねーw
今は少し隠れていて見にくいとかで……。
しかしなんで昭和のロープウェーって縁結び施設がついてるんでしょうね……吊り橋交換ならぬ吊りゴンドラ効果?
昭和人の考えることはわかりませぬ……。

関東の富士見100選
関東建設弘済会…天下り組織のようですが、再編されて消えてしまったようですね。

この日は富士を見るにはあいにくのお天気。
それでもこの遮るもののない広い空は、都会っ子にとって貴重な空間と言えるでしょう。
スマホでポーズを決めてパシャパシャ撮る女の子たちがたくさんいました。

保田方面を眺めます。
こちらはいかにも海水浴場という雰囲気なのですが、閑散としております…。
ここからは!
前回私がスルーした日本寺です!
お友達は御朱印を集めてあちこち参拝しているし、寺社は外さないのだ…!

石でできた小屋があります。
石なんていくらでもあったんでしょうなぁ

ここが鋸山日本寺。

「地獄のぞき」で有名なんだとか(知らなかった)

なんというか味わい深い看板
(トイレ自体も味わい深かったのですが)

要塞として軍に占拠されたり、失火によって伽藍が壊滅したりと、散々な目に会いながら頑張ってきたようです。
さぁ、地獄のぞきとは崖っぷちにある展望台のことなんですが、
これが写真映えするのか、
けっこう行列ができててびっくりしちゃって。
お友達的には、あんま流行に乗るのはどうかと思っててあまり興味はないと。
しかしお忘れだろうか。
私たちはロープウェイ山頂駅で、
「地獄まん」を食べてしまったのだ。
地獄まんを食べておきながら地獄を覗かないのはこれはいかんと。並ぶ。

これが地獄覗き。
多分横から見た方が怖い。

実際に登ってみるとセメント?か何かでしっかり整備されている様子。
そりゃそうじゃ。

隣はがら空きなので、なんとなく雰囲気味わいたい人はこっち行くといいかも。

これが地獄のぞきの割と上の方から撮ったやつ。
さらに何歩か進んでいくと。

金谷の景色がよく見えます!
右手には車力道が見えます。

地獄への道は善意で舗装されてるって言いますが本当だったんですねぇ。

鋸山ロープウェイの柱見えます。

そして山頂の駅。

こんな高台がここには何箇所かあるので、好きなところに登ると良いと思います。

そこから山道を降りて、今度は大仏様を見に行きます。

道中、千五百羅漢像という石仏群が随所にあります。


山門すらも石でくり抜かれて作られているというのが面白いです。
ロープウェーができたのが昭和中期。そこでこのお寺には裏口ができて、そっちがメインルートになってしまったんだなというのを何となく感じられる設備の一つではないでしょうか。

ロープウェーの駅から眺めた保田の海がずいぶんと低いところに見えてきました。
僕らがロープウェーで稼いだ位置エネルギーはどこへ…!
大仏様はまさにふもとにありました。

大きな石仏です!
ここで御朱印を書いていただく間暫し一休み。
死後は仏様に導いてもらうとして、現世では何より鶴瓶のミネラル麦茶も私たちを救済してくれます。ありがたや…ガクガク。
暑い季節をマスクで過ごすのでみなさんも気をつけてくださいね。

大仏様の周りは水路になっていましたが、ウシガエルらしきオタマがたくさん泳いでいて、ちびっ子の関心をひいていました。

ツツジとフジが咲いています。


藤沢のフジをちゃんと撮ってないなぁと思いながら、房総半島でシャッターを切る私。
ここで大仏下のトイレに言っておきます。
ここで驚いたのがこれ。

入口に仏像が飾られています。
かつて「トイレの神様」という歌が流行りましたが、ここにはトイレの仏様がいるみたい。
烏枢沙摩明王というそうです。
「浄穢不二」、つまり美醜によらず平等な視点でものを見るということですね。学びになります…。
雑居ビルでカンパ制のトイレなんてのも見かけますが、
「老後下のことで他人様に世話をかけたくないと願われる方は、この明王にお祈りください」
なんてアフターサービス!!仏の世界は手厚いです……。
試しに十円玉を入れてみると、みんなけっこうちゃんと小銭入れてるような、チャリリン…といい音がしました。

麓のあたりはお堂が並びます。

たぶん、保田から行くと、鎌倉でいう建長寺→天園ハイキングコースのような楽しみ方ができるのかなと思います。

岩肌を抉ったような形跡。
これも採石の名残りなのでしょうか。

通天窟というお堂。
石で作られていて、中は協力者の名前がたくさん彫られていました。ほんとに石が豊富だ……!
麓の伽藍は工事中の施設もありましたが、ぐるっと散策して、降りてきた山をなんとまた登って観音像に向かいます。

ヒーヒー言っている家族連れを追い越し、元気なチビッコに追い越され、石段を上がります。

ふたたび石仏群が見えてきます。

洞窟の上にも石仏。

橋の上に滝がありました。


引きで写すのがむずかしかったのですが
チョロチョロと水が流れてきます。
さらに登って、ロープウェー駅の方まで戻り、
こんどは百尺観音を目指します。

ここはお寺というよりも石切場という感じです。

石を切り出して作られた切通しに、
石で作られた階段を置いていて、各所に通路が作られています。

岩をくり抜いて作られた巨大石仏です。

どうやって掘ったのこれ…ってなりますよね。

交通安全の仏様だそうで、
安全祈願をしておきましょう……。
この観音像の向かいの石壁には、
色々と文字が彫られています。
猿島も相合い傘とか落書きだらけでしたが、
ここには一際高いところに文字が刻まれています。

落書きと思ってバカにしていたのですが、
やっぱり「竜悦庵」という名前なだけあって、
本当は立派な「御神体」を祀ってたみたいなんですよねーw
今は少し隠れていて見にくいとかで……。
しかしなんで昭和のロープウェーって縁結び施設がついてるんでしょうね……吊り橋交換ならぬ吊りゴンドラ効果?
昭和人の考えることはわかりませぬ……。

関東の富士見100選
関東建設弘済会…天下り組織のようですが、再編されて消えてしまったようですね。

この日は富士を見るにはあいにくのお天気。
それでもこの遮るもののない広い空は、都会っ子にとって貴重な空間と言えるでしょう。
スマホでポーズを決めてパシャパシャ撮る女の子たちがたくさんいました。

保田方面を眺めます。
こちらはいかにも海水浴場という雰囲気なのですが、閑散としております…。
ここからは!
前回私がスルーした日本寺です!
お友達は御朱印を集めてあちこち参拝しているし、寺社は外さないのだ…!

石でできた小屋があります。
石なんていくらでもあったんでしょうなぁ

ここが鋸山日本寺。

「地獄のぞき」で有名なんだとか(知らなかった)

なんというか味わい深い看板
(トイレ自体も味わい深かったのですが)

要塞として軍に占拠されたり、失火によって伽藍が壊滅したりと、散々な目に会いながら頑張ってきたようです。
さぁ、地獄のぞきとは崖っぷちにある展望台のことなんですが、
これが写真映えするのか、
けっこう行列ができててびっくりしちゃって。
お友達的には、あんま流行に乗るのはどうかと思っててあまり興味はないと。
しかしお忘れだろうか。
私たちはロープウェイ山頂駅で、
「地獄まん」を食べてしまったのだ。
地獄まんを食べておきながら地獄を覗かないのはこれはいかんと。並ぶ。

これが地獄覗き。
多分横から見た方が怖い。

実際に登ってみるとセメント?か何かでしっかり整備されている様子。
そりゃそうじゃ。

隣はがら空きなので、なんとなく雰囲気味わいたい人はこっち行くといいかも。

これが地獄のぞきの割と上の方から撮ったやつ。
さらに何歩か進んでいくと。

金谷の景色がよく見えます!
右手には車力道が見えます。

地獄への道は善意で舗装されてるって言いますが本当だったんですねぇ。

鋸山ロープウェイの柱見えます。

そして山頂の駅。

こんな高台がここには何箇所かあるので、好きなところに登ると良いと思います。

そこから山道を降りて、今度は大仏様を見に行きます。

道中、千五百羅漢像という石仏群が随所にあります。


山門すらも石でくり抜かれて作られているというのが面白いです。
ロープウェーができたのが昭和中期。そこでこのお寺には裏口ができて、そっちがメインルートになってしまったんだなというのを何となく感じられる設備の一つではないでしょうか。

ロープウェーの駅から眺めた保田の海がずいぶんと低いところに見えてきました。
僕らがロープウェーで稼いだ位置エネルギーはどこへ…!
大仏様はまさにふもとにありました。

大きな石仏です!
ここで御朱印を書いていただく間暫し一休み。
死後は仏様に導いてもらうとして、現世では何より鶴瓶のミネラル麦茶も私たちを救済してくれます。ありがたや…ガクガク。
暑い季節をマスクで過ごすのでみなさんも気をつけてくださいね。

大仏様の周りは水路になっていましたが、ウシガエルらしきオタマがたくさん泳いでいて、ちびっ子の関心をひいていました。

ツツジとフジが咲いています。


藤沢のフジをちゃんと撮ってないなぁと思いながら、房総半島でシャッターを切る私。
ここで大仏下のトイレに言っておきます。
ここで驚いたのがこれ。

入口に仏像が飾られています。
かつて「トイレの神様」という歌が流行りましたが、ここにはトイレの仏様がいるみたい。
烏枢沙摩明王というそうです。
「浄穢不二」、つまり美醜によらず平等な視点でものを見るということですね。学びになります…。
雑居ビルでカンパ制のトイレなんてのも見かけますが、
「老後下のことで他人様に世話をかけたくないと願われる方は、この明王にお祈りください」
なんてアフターサービス!!仏の世界は手厚いです……。
試しに十円玉を入れてみると、みんなけっこうちゃんと小銭入れてるような、チャリリン…といい音がしました。

麓のあたりはお堂が並びます。

たぶん、保田から行くと、鎌倉でいう建長寺→天園ハイキングコースのような楽しみ方ができるのかなと思います。

岩肌を抉ったような形跡。
これも採石の名残りなのでしょうか。

通天窟というお堂。
石で作られていて、中は協力者の名前がたくさん彫られていました。ほんとに石が豊富だ……!
麓の伽藍は工事中の施設もありましたが、ぐるっと散策して、降りてきた山をなんとまた登って観音像に向かいます。

ヒーヒー言っている家族連れを追い越し、元気なチビッコに追い越され、石段を上がります。

ふたたび石仏群が見えてきます。

洞窟の上にも石仏。

橋の上に滝がありました。


引きで写すのがむずかしかったのですが
チョロチョロと水が流れてきます。
さらに登って、ロープウェー駅の方まで戻り、
こんどは百尺観音を目指します。

ここはお寺というよりも石切場という感じです。

石を切り出して作られた切通しに、
石で作られた階段を置いていて、各所に通路が作られています。

岩をくり抜いて作られた巨大石仏です。

どうやって掘ったのこれ…ってなりますよね。

交通安全の仏様だそうで、
安全祈願をしておきましょう……。
この観音像の向かいの石壁には、
色々と文字が彫られています。
猿島も相合い傘とか落書きだらけでしたが、
ここには一際高いところに文字が刻まれています。

落書きと思ってバカにしていたのですが、
どうやら経緯を調べてみるとちょっと違うらしい。
日中戦争の開戦によって戦争に染まっていく日本で、兵隊になる運命を悟った明治大学の登山部員が合宿の際に遺したものなんだとか。
想像するにも、心苦しい。
いまのコロナ禍よりも理不尽な世界で、自分たちの存在証明をここに刻んだのだとしたら、それが80年を経た今でもここに残っているのは、ある種の戦争遺産なのかな、とか。
ここにも寺の出口があるので、フェリー乗り場へ向かいます。

ここからは下山道を下っていきますよ!
日中戦争の開戦によって戦争に染まっていく日本で、兵隊になる運命を悟った明治大学の登山部員が合宿の際に遺したものなんだとか。
資料が乏しく(ソースが足りない=主観や誰かの想像が入っているのか確かめる術がない)あまり細かいことはわからないのですが、
仮にこの話が事実だとしたら、ここに名前を刻んだ人たちは終戦時点で28〜30歳。彼らはその後どんな運命を辿ることになってしまったのか……。想像するにも、心苦しい。
いまのコロナ禍よりも理不尽な世界で、自分たちの存在証明をここに刻んだのだとしたら、それが80年を経た今でもここに残っているのは、ある種の戦争遺産なのかな、とか。
ここにも寺の出口があるので、フェリー乗り場へ向かいます。

ここからは下山道を下っていきますよ!
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